教会時論 2025年11月15日 「国是を危うくする慢心を退けよ」

国是を危うくする慢心を退けよ

戦後、日本が命懸けで守ってきた原則が、現政権の軽率な言動で揺らいでいる。国民の幸せと国益を思うなら、首相は傲慢を悔い改めよ。

 先週の衆院予算委員会。高市首相は「現段階では」非核三原則を堅持すると述べながら、来年の安保3文書改定でその扱いを維持するかどうかの明言を避けた。場の空気が一気に緊張したのは当然だ。非核三原則は1967年、佐藤栄作首相が国会で示して以来、被爆国の歩みを支えた国家的原則である。22年の安保3文書でも「堅持する」と明記され、国際社会への約束として再確認された。それを、時の首相の裁量次第で書き換えられるかのように語るのは、国是に対する理解の浅さを露呈する。首相は「書きぶりはこれからだ」と述べたが、問題はそこではない。自身の著書で「持ち込ませず」の見直しに言及し、3文書への明記を阻もうとして失敗したと書いた人物が、政策の最終責任者として座っている事実そのものが、国民の不安を招いている。ロシアのプーチン大統領は核の威嚇を繰り返し、米国ではトランプ大統領が核実験再開を指示した。世界が核の敷居を下げつつある今、日本が原則を曖昧にすることは、国際社会が積み上げてきた核のタブーを緩める危険な後押しになる。広島・長崎の被爆者が守り抜いてきた「核は使ってはならない」という叫びを、首相はどこまで受け止めているのか。

 韓国の原潜開発、米国の核実験指示、北朝鮮のSLBM開発。東アジアの緊張はすでに臨界点に近い。そんな中、トランプ氏は韓国の原潜建造を唐突に承認し、米韓の安全保障に経済的取引を持ち込んだ。中国と北朝鮮が反発するのは必至であり、軍拡競争の加速は避けられない。日本も無傷ではいられない。防衛省の有識者会議は9月、「次世代動力」潜水艦の導入を提言し、事実上の原潜導入が視野に入る。自民党と維新の連立政権は前向きで、小泉防衛相は「あらゆる選択肢を排除しない」と語った。しかし、原潜保有は原子力基本法の「平和利用」との整合性を揺るがし、非核三原則の精神そのものを侵す。日本が一歩踏み出せば、中国や北朝鮮だけでなくロシアの反応も不可避となり、地域の緊張が一段階跳ね上がる。核軍縮を訴える道義的立場も一挙に失われる。トランプ氏による核実験の「臨界前」との説明も欺瞞だ。核爆発が伴わなくても、核軍縮の流れを逆転させる挑発として国際社会に受け止められる。日本政府は明確に反対し、地域の緊張を抑え込む外交に力を尽くすべきだ。ここで沈黙すれば、日本は“核の追随国”として歴史に名を残す。

 問題の根底にあるのは、首相自身の言葉の軽さである。台湾有事をめぐり、高市首相は「存立危機事態になり得る」と突如述べ、従来の政府答弁を越えた。翌日には釈明したが、一度発せられた首相の言葉は取り消せない。存立危機事態とは、日本が武力行使を行う際の最重要要件であり、本来、国家の命運を左右する慎重さが求められる。安倍政権ですら具体例を曖昧にすることで暴走を避けてきた領域だ。にもかかわらず、高市首相は「海上封鎖なら事態に該当する」と個人見解を披露し、中国側の反発を直ちに招いた。その直後、中国の大阪総領事がSNSで不穏当な投稿を行い、政府が抗議する事態に発展した。軽率な発言が外交の緊張を高め、国民の安全を脅かす構図そのものだ。高市首相は先月、習近平国家主席との初会談で「対話の重要性」を確認したばかりだった。にもかかわらず、対話の芽を自ら踏みにじるような発言を重ねた責任は重い。防衛力強化を掲げるのは容易だ。しかし、武力衝突を防ぐために最も必要なのは、安定した外交と予測可能な政府の態度である。言葉は武器にもなる。首相はその自覚を欠いている。

 いま必要なのは、政府が戦後の核心原則 — 非核三原則、専守防衛、武力行使の厳格な限定 — を再確認し、改定作業を「拡大」ではなく「抑制」の方向で進めることである。読者には、政権が進める安全保障政策を感情論ではなく冷静に監視し、国会には三原則の再明記と、原潜導入を明確に否定する審議を年内に求めたい。教会は、被爆者の証言に連なる立場から、核なき世界の責任を語り続ける。国の未来は、拡声ではなく真実を守る私たち一人ひとりの良心にかかっている。

「見よ、正義は荒れ野に宿り、恵みは田畑にとどまる。」
(イザヤ書32章16節)

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