教会時論 2025年10月5日 「ガザの『異常』を直視せよ」

ガザの「異常」を直視せよ
医師と看護師が証言する瓦礫の街と飢える子ども。これを放置する世界は、人類の良心を裏切っている。
10月3日、東京。国境なき医師団の日本人スタッフ2人がガザから帰国し、記者会見に臨んだ。語られたのは、焼け落ちた街、攻撃を受けた病院、栄養失調に苦しむ子どもたちの現実だった。ナセル病院で150人の看護師を統括した中池ともみ看護師は「黒焦げの建物が残骸のように立っていた」と語り、患者の多くが息を引き取った後に搬送されてきたと証言した。別のスタッフは「爆弾が落ちて一瞬で死んだ方がいい」と絶望を吐露した。医療従事者でさえそう言わざるを得ないほどの疲弊が広がっている。
松田隆行氏は7月から8月まで仮設病院の建設や物資調達に当たった。食料も薬も燃料も欠乏し、粉ミルクの不足で子どもと妊婦が飢えに直面していた。「ウクライナやイエメンを経験してきたが、ガザほど市民が標的にされている状況は見たことがない」と断言する。2023年以降、イスラエル軍の攻撃で国境なき医師団のスタッフ14人が命を失った。村田慎二郎事務局長は「これはジェノサイドだ」と言い切り、世界の指導者に即時停戦を求めた。
イスラエル政府は攻撃後に「遺憾」と表明するが、遺憾の繰り返しで失われた命は戻らない。イスラエルは自衛を理由に掲げるが、瓦礫となった病院、飢える乳児、絶望する市民がその「正当防衛」の名において犠牲とされている。武装勢力ハマスの攻撃を理由に市民を巻き込む空爆が許されるのか。国際法は明確に答えている。民間人の無差別攻撃は禁じられている。仮に武装組織を制圧する必要があったとしても、子どもの命を餓死に追いやる権利は誰にもない。
聖公会は、人の尊厳を踏みにじる暴力に沈黙しない。罪悪感を抱え帰国した中池氏が語った「桜の下に立つことが苦しかった」という言葉は、我々への問いかけである。私たちは安全な日常を享受しながら、ガザの惨状を傍観してよいのか。いま必要なのは、停戦のための政治的圧力、難民と負傷者の受け入れ、そして無力感に覆われた人々に届く確かな連帯である。誰が何をすべきかは明らかだ。各国政府は即時停戦のために国際的枠組みを組織し、議会は人道支援予算を直ちに承認し、教会は祈りと発言で市民社会に訴え続けなければならない。
「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイによる福音書5章9節)