教会時論 二〇二五年九月二十一日 日曜日「ガザの惨禍・安保の歪み・老いの孤立――いのちの声に応える日本社会の責任」

はじめに 記憶を抱えて歩むということ

 秋分に近いこの時期、日差しはまだ強くとも、朝晩に微かな涼しさを感じる。聖霊降臨後第十五主日を迎えた私たちは、自然の移ろいの中で、過ぎ去った夏の重さとこれから訪れる季節の陰影を同時に抱いている。教会の礼拝は、こうした暦の呼吸と響き合いながら、いのちの現実を見つめ直す時間となる。

 この一週間もまた、世界と日本は重い課題に直面した。ガザでは地上侵攻が続き、瓦礫の街から必死に避難する人々の姿が伝えられた。国連の調査委員会はジェノサイドと認定し、国際社会ではパレスチナ国家承認の動きが加速する。だが、日本政府はなお態度を曖昧にしている。外交の逡巡の背後には、苦しむ人々の呻き声がある。

 国内に目を転じれば、安保法制の成立から十年という節目を迎えた。かつて国会前に集った人々の叫びを、私たちはもう忘れていないだろうか。憲法解釈をねじ曲げて成立した法律は、今も現実に運用されている。防衛力増強の流れに抗うことなく、専守防衛の原則は薄められてきた。法の支配と民主主義に刻まれた傷は癒えていない。

 さらに、足もとでは高齢社会の課題が深刻さを増している。敬老の日に寄せられる祝福の言葉の影で、家族を持たない高齢者が急増し、「家族代わり」となる仕組みの整備が急務となっている。誰もが安心して老いを迎える社会を築けるかどうかは、私たちの共同体の成熟を映す鏡である。

 こうした現実を前にして、私たちは「記憶を抱えて歩む」ことを思わされる。歴史の記憶、争いの記憶、そして老いと孤独の記憶。それらを忘れず、祈りと行動へと変えていくことは、キリストに従う者に託された務めであろう。聖書の言葉に根ざし、祈りの営みと共同体の連帯を大切にしつつ、すべての違いを越えて共に担う使命がある。

 「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5:9)。この一句は、戦場の瓦礫にも、国会の議事堂にも、老人ホームの静かな部屋にも、同じように響く。記憶を抱えるとは、過去に縛られることではない。未来へと責任をもって歩むことだ。私たちはこの秋、祈りと議論と奉仕の中で、その歩みを新たにしたい。

一.ガザ侵攻と国家承認――平和を選び取る決断を

 主日の朝、会衆の祈りはしばしば遠い地名を抱きしめる。ガザ、ハンユニス、ラファ。そこに暮らす顔も名も知らぬ人々を、神は固有名で呼び出す――その思いを私たちはどこまで共有しているだろうか。イスラエル軍が16日、最大都市ガザ市への地上侵攻を開始したと伝えられた。通信遮断の中で砲爆撃が続き、すでに6万5千人超が命を落としたとされる。国連人権理事会の調査委員会は、イスラエル当局がガザでジェノサイド(集団殺害)に当たる行為を行ったと結論づけた。政府は否定するが、報告は為政者の言動と軍の行動を系統的に検証している。議論があるにせよ、この「重さ」から目をそらすべきではない。

 他方で、事態を転じる政治的梃子として、「パレスチナ国家の承認」が現実味を帯びてきた。今週の首脳級会合の周辺で、フランス、カナダ、オーストラリアなどが正式承認を表明する見通しと複数報道が伝える。英国も一定の条件を満たさねば承認に踏み切るとの圧力を強めた。すでに150前後の国が承認しており、主要国の加列は象徴的にとどまらない。停戦への国際的同調圧力を強め、政治解決の窓をこじ開ける可能性を持つからである。

 では日本は何をなすべきか。報道によれば、政府は当面、国家承認に踏み切らない方針という。米国との同盟を慮る姿勢がにじむ。だが、日本外交の長い歩みは「二国家解決」支持と人道支援の積み重ねであったはずだ。ここで及び腰になれば、国際社会での信頼を削るだけでなく、私たち自身の倫理的一貫性を損なう。少なくとも首相は国連の場で、即時停戦と人質解放、国際人道法の厳格な遵守、そして国家承認へ向けた明確な工程に賛意を示すべきである。

 承認は魔法の杖ではない。境界、治安、統治――越えるべき実務の山は高い。ハマスの武装闘争は断じて支持できないし、イスラエル市民の安全保障も等しく守られなければならない。だからこそ、国家承認は「最終地位交渉」を起動するための政治的出発点なのだと位置づけ直す必要がある。占領と封鎖の恒常化は、憎悪と報復を連鎖させ、双方のいのちをすり減らすだけである。

 福音は、敵とされた者のいのちを数え上げるところから始まる。「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9、新共同訳)。この一句を掲げるとき、私たちは安易な中立の殻に退くことを許されない。罪責の配分を競うのではなく、今、飢えと渇きにある者を飢えと渇きから解き放つ具体策を選び取ること――それが「平和をつくる」最初の行為である。

 教会の言葉は、政府の言葉と違って命令ではない。だが、祈りは政治の外にあるのではなく、政治の良心を揺り起こす。日本が掲げてきた「積極的平和主義」は、軍備拡張の婉曲表現ではなかったはずだ。人道停戦、越境支援の安全な通行、集団処罰の否認、そして将来の相互承認に至る道筋を、同盟を壊さずに言挙げすることは可能である。むしろ、それをやらねば同盟は片務的な沈黙の同盟に堕する。

 現地映像に映るのは、炊き出しの列でパンを割る老人、救急車を待ち続ける母、校舎跡で靴を探す少年だ。数字は冷酷に増えていくが、ひとり一人の名前は奪えない。人間の尊厳は、国家や武装組織の思惑より上位の価値であり、神の似姿を刻む。国家承認をめぐる決断は、国益だけでなく、私たちが拠って立つ価値の輪郭をも露わにする。日本は、恐れずに価値の側に立てるか。

 外交はしばしば、最悪と次善の選択だと嘆かれる。だが、次善を選び続けることでしか最悪を遠ざけられない瞬間がある。今がそうだと思う。日本は、即時停戦と人質解放、国際調査の受け入れを求めつつ、国家承認の意思と工程に与する姿勢を明言すべきだ。祈りと政策が交わる地点で、私たちの良心は試されている。

二.安保法制十年――立憲主義を守るために

 十年前、国会前を埋め尽くした群衆の声を、私たちはどれほど覚えているだろうか。学生も、子育て世代も、戦争を体験した老いた人々も、口々に「憲法を壊すな」と訴えていた。あの日々は、日本の立憲主義の核心に触れる出来事であった。第2次安倍政権が憲法解釈を変更し、集団的自衛権の一部行使を可能にした安保関連法が成立したのは、2015年9月19日。その強行採決から、ちょうど十年が過ぎた。

 あの時の警鐘は、決して空想ではなかった。米軍や他国軍との共同訓練は既成事実となり、海外での自衛隊活動は広がった。防衛三文書の改定により「敵基地攻撃能力」が打ち出され、防衛費は倍増へと舵を切った。表向き「専守防衛」を掲げながら、その定義に収まりきらない現実が積み重なっている。国会答弁で「存立危機事態」として挙げられたホルムズ海峡封鎖の仮定は、すでに現実的な議論として取り沙汰されている。十年前に「杞憂」とされた不安が、今は「想定内」に置き換えられてしまった。

 憲法九条の精神は何を意味するのか。戦後日本は「個別的自衛権」――自国が攻撃された時にのみ武力を行使できるという原則を守ってきた。ところが安保法制は、他国への攻撃でも日本の存立が「根底から覆される明白な危険」があると政府が認定すれば、武力行使を可能にした。基準はあいまいで、政府解釈次第で拡大する恐れを常にはらんでいる。実際に、政権が交代するたびに答弁のニュアンスが微妙に変わってきた。歯止めが「説明の仕方」によって揺らぐようでは、法の支配とは言えない。

 私たちにとっても、この問題は遠い政治の論議ではない。戦争に行くのは、名もなき若者たちである。徴兵制は存在しないにせよ、危険地域に派遣される自衛官たちには家族がいる。命をかけるその行動が「明白な危険」に基づいているのか、それとも政府の「解釈の転換」によるのか――その差は天と地ほどに大きい。十年前、多くの憲法学者が「違憲」と断じたのは、この曖昧さこそが最大の危機だからだ。

 仙台高裁が2023年に示した判決は興味深い。違憲とまでは断じなかったが、政府が「厳格かつ限定的な解釈」を国会で答弁したことを前提に、合憲判断を下した。言い換えれば、その厳格さが緩められれば合憲性の根拠は揺らぐということである。司法は小さな楔を打ち込んだ。立法府と国民がそれを広げて歯止めとできるかが、今問われている。

 民主主義に深い傷を残したのは、法案の成立過程そのものでもある。多数を頼んでの強行採決は、「権力は憲法に縛られる」という立憲主義の基本を損なった。聖書は「権力は神に由来する」と語る一方で、権力が自己目的化する時に預言者が鋭く批判した歴史を伝えている。国家が命の境界を決める時、信仰者は沈黙してはならない。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)。この言葉は時代を超えて、国家権力への警句として響いている。

 現実には、日本の安全保障環境は厳しさを増している。北東アジアの緊張、ロシアの侵略戦争、中東情勢の不安定化。だからこそ、武力に頼るのではなく、外交と国際法、そして平和的手段を尽くすことが、むしろ現実的な安全保障の道である。歯止めなき拡大は、結局は国を危うくする。抑制と透明性の中にしか、真の安全は見いだせない。

 十年を経た今こそ、国会は徹底的な検証を行うべきだ。与野党を超え、政府の裁量を制限する明確な規定を設ける。国民に説明し、合意を形成する。その作業を怠れば、「違憲の疑い」を抱えたままの法体系が既成事実となり、憲法そのものが空洞化する。国家の安全とは、国民の自由と権利を守ることに他ならない。その基盤を脅かす安全保障は、本末転倒である。

 十年前に声を上げた人々の記憶を、私たちは風化させてはならない。あの時の不安と希望を受け継ぎ、次の十年に向けて歯止めを築くこと。それが、民主主義と平和を守る最小限の責任である。

三.敬老の日――孤立する老いを支える共同体

 九月の空に秋の澄んだ風が吹き始めるころ、私たちは「敬老の日」を迎える。今年も、教会では長寿を祝う祈りが捧げられたことだろう。だが、現実の社会は祝意だけでは覆い隠せない課題を突きつけている。非婚や少子化、家族のつながりの希薄化の中で、配偶者も子も頼れる親族もいない高齢者が急増しているのだ。推計によれば、二〇五〇年には六十五歳以上で三親等内の親族がいない人が四百五十万人近くに達すると見込まれる。いまの一・五倍である。数字は無機質だが、そこにあるのは一人ひとりの暮らしと不安である。

 通院に付き添う人がいない。介護施設に入るときに身元保証を求められるが、頼れる人がいない。亡くなった後の遺体引き取りや葬儀・納骨、借家の原状回復をどうするのか。こうした問題が顕在化している。これまでは家族が担ってきたことを、今はケアマネジャーや民生委員がやむを得ず引き受ける場合もある。だが、それは制度としての責務ではなく、善意に頼る状況にすぎない。社会として、この「家族代わり」を誰が担うのか――避けて通れない問いである。

 厚生労働省は来年の通常国会で法改正を目指し、入院時や死亡後の手続きを社会福祉事業として制度化する方向を検討している。所得や資力に応じた料金設定を行い、低所得者には低額あるいは無料で提供する構想だ。社会福祉協議会などが担い手となることを想定している。これは一歩前進である。現行の民間サービスは高額で、預託金が百万円以上必要となる場合もある。これでは利用できない人が多い。政府が基盤整備に動くことは歓迎すべきである。

 だが、制度をつくるだけでは不十分だ。担い手の確保、活動を監督する仕組み、そして病院や施設の意識改革が欠かせない。身元保証を当然視する慣行そのものを見直し、柔軟な対応を促すことも必要だ。公的制度と民間サービスを併用しながら、誰もが安心して最期を迎えられる環境を整える――これが社会の責任である。

 聖書は「あなたの父と母を敬え」と命じる(出エジプト20:12)。だが、この掟の核心は、単なる血縁への忠誠ではなく、老いた人々のいのちを尊び、支え合う共同体の在り方にあると私は思う。イエスが語った「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしたのである」(マタイ25:40)との言葉も同じ精神を映す。隣人愛は家族の枠を越える。血縁を超えて互いに「家族代わり」となるところに、信仰共同体の証しがある。

 現実の社会では、孤立死や無縁仏といった言葉がニュースに並ぶ。だが同時に、地域の食堂で子どもと高齢者が共に食卓を囲み、互いに支え合う姿も広がっている。そこには「見ず知らずの人の家族になる」という小さな実践が息づいている。制度が整えられても、こうした地域の温もりを欠いては真の安心感は生まれない。公的仕組みと市民の営みが両輪となることで初めて、高齢者が「自分は忘れられていない」と感じられる社会が形づくられる。

 教会はどうか。礼拝に集う共同体こそ、家族を失った人にとっての「家族代わり」となりうる場である。葬儀の執行、入院時の訪問、日常の見守り。小さな奉仕の積み重ねが、一人の老いを支え、孤独を和らげる。福音派の読者にとっても、ここに隣人愛の最も具体的な実践がある。証しとは言葉だけではない。互いの老いを受け入れ、共に歩む姿そのものが証しとなる。

 敬老の日に寄せて、私たちは単なる感謝や祝意にとどまらず、「家族代わり」として共に生きる社会の姿を思い描きたい。制度の整備と同時に、地域と教会が果たす役割を問い直すときである。老いゆくことが不安ではなく、安心へとつながるような社会を築くこと――それは私たちの未来のためでもある。

結語 いのちの声に応える責任

 主日の礼拝で交わす祈りは、世界の痛みを沈黙のうちに抱きしめる時間でもある。ガザの地で生き延びようとする家族、戦火に巻き込まれる子どもたち。十年前に警鐘を鳴らした人々の声をいまなお無視したまま進む安全保障政策。そして孤独に老いを迎える人々が、誰に見守られることもなく暮らす現実。三つの素材に共通しているのは「いのちの声」である。奪われ、かき消され、置き去りにされそうなその声に、私たちはどのように応えるのかを問われている。

 日本社会はしばしば「現実的対応」という名のもとに、耳を塞ぎ続けてきた。パレスチナ国家承認を先送りにし、米国との関係維持を優先する政治。違憲の疑いを抱えたままの安保法制を「運用」で正当化し、既成事実化する権力。そして、高齢者の生活や死後の手続きを家族任せにしてきた慣行を放置してきた行政。だが、これらはすべて、弱い立場に置かれた人々の声を聞かないことによって成り立つ「沈黙の政治」である。

 福音は、この沈黙に抗う。神は沈黙を選ばず、荒れ野で叫ぶ声に耳を傾け、やもめや孤児の叫びに応えられる。イエスは「渇いていたときに飲ませ、牢にいたときに訪ねてくれた」(マタイ25章)と語り、人間の小さな応答を神への応答と重ね合わせた。ここに、教会が果たすべき役割の核心がある。すなわち、聞こえない声を聞き、届かない叫びを社会に伝え、孤独に沈む人の傍らに立つことだ。

 外交においては、停戦と人質解放を求めるだけでなく、国家承認という政治的意思を通じて「いのちの側に立つ」選択を迫られている。安全保障では、抑制と透明性を徹底することで、権力がいのちを恣意的に左右することを防がなければならない。高齢社会では、制度と共同体の双方を整え、「誰も見捨てられない」仕組みを築くことが急務である。これらはすべて、いのちの声に応える具体的な責務である。

 もちろん、現実の政治は妥協に満ち、すぐに理想が実現するわけではない。パレスチナの承認が戦闘を止める保証はなく、安保法制の見直しも一朝一夕には進まない。高齢者支援制度も、財政や人員の制約で不十分な形にとどまるかもしれない。だが、だからこそ信仰共同体が声を上げ続ける意味がある。諦めず、希望を語り、隣人愛の証しを小さな現場で積み重ねていく。そこにこそ、預言者的使命が宿る。

 「平和を実現する人々は、幸いである」。この祝福は、戦場の停戦交渉にも、国会の討論にも、地域の介護現場にも響く。平和を「祈る」だけでなく、「つくる」ことに手を伸ばすとき、私たちは神の子と呼ばれるのだろう。ガザの子どもたちの涙、安保法制に抗った市民の声、孤独に老いる高齢者の沈黙――それらは一つひとつが、私たちの責任を突きつける預言の声である。

 この秋、記憶を抱えて歩む私たちは、いのちの声に応える道を選び取りたい。祈りと行動を結び、過去の傷を未来の責務へと変えること。それこそが、教会が担うべき公共の使命であり、神の国をこの地に映す最も確かな歩みである。

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