教会時論 二〇二五年八月三十一日 (聖霊降臨後第十二主日) 「酷暑の田畑・虐殺の記憶・眠れる遺骨――いのちの尊厳を守る日本社会の責務」

はじめに 記憶を抱えて歩むということ
私たちが暮らす社会は、都合の悪い現実を忘却の彼方へ追いやろうとする傾向を持っている。酷暑に揺らぐ田畑を前にしても、気候変動の危機を自らの暮らしの問題として語る声はまだ小さい。百余年前の関東大震災で起きた朝鮮人虐殺の記憶は、追悼の営みが軽んじられ、事実を否定する言説さえ広がっている。長生炭鉱の海底に眠る遺骨は、今なお祖国に帰れぬまま置き去りにされている。社会はしばしば「忘れる」ことを安易な解決策として選び、私たちもまたその流れに身を任せやすい。
しかし聖書は告げる。「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」(ヨハネ八・三二)。真理を知るとは、過去の痛みに目を背けず、現在の不正を直視する勇気を持つことにほかならない。光の中を歩むとは、不都合な現実を覆い隠さず、そこに差し伸べられる神の声を聞き取ることなのである。
本号の教会時論では、三つの現実を見つめる。酷暑と渇水に揺らぐ農業の危機。百余年前の震災に伴う朝鮮人虐殺の記憶。そして、長生炭鉱の海底に眠り続ける犠牲者の遺骨。これらは別々の出来事のように見えるが、根底では「いのちと尊厳をどう守るか」という問いで結びついている。
忘却に抗して生きることは、容易ではない。痛みを受けとめ、責任を引き受けることには勇気と忍耐が求められる。それでもなお、その歩みを続けるとき、教会は福音の証人として社会に希望の灯をともし得る。記憶を抱えて歩むことこそ、信仰共同体に課せられた使命であり、未来の世代に渡すべき最も確かな遺産なのである。
Ⅰ 酷暑に揺らぐ田畑と国の責務
この夏、列島を覆った熱波は、人の感覚を麻痺させるほどに苛烈であった。気象庁の統計によれば七月の平均気温は観測史上最高を記録し、降水量は記録的に少ない。新潟や京都では、田んぼがひび割れ、稲の穂が出ても粒は白濁し、売り物にならぬ米が増えた。果樹は日焼けし、農作業に励む人は熱中症で次々と搬送されている。この光景を「異常気象」という一言で片づけることはもはやできない。地球規模の気候変動が現実となり、農の営みを根底から揺るがしているのである。
農業は天候に最も左右される産業であると同時に、国民生活の基盤でもある。二〇二三年の酷暑で米の収量と品質が落ち、翌年には米不足と価格の高騰が人々の生活を直撃した。私たちは食卓に並ぶ一膳のご飯が、農家の汗と苦悩の果てにあることを痛感したはずだ。しかし国の政策は後追いに終始し、現場の農家は孤軍奮闘を強いられている。
農水省が掲げる「高温耐性品種の導入」「水管理の徹底」「施肥管理の工夫」は、確かに有効である。だが、それを実行するには莫大な労力と資金が必要だ。ポンプの設置や燃料費、追肥や防除薬剤の購入――こうした現実的な費用を誰が担うのか。制度の網の目から漏れた中小農家には、その負担があまりに重い。営農意欲を失わせるほどの現実が、すぐそばにある。
農業共済や収入保険も、現状では救いきれない。収入保険は青色申告者に限定され、多くの農家が対象外である。共済は収量が基準の八割を下回らなければ支払われず、しかも補填が遅れ、翌年の営農資金に間に合わない。酷暑や干ばつは人命と食糧を脅かす災害であるにもかかわらず、豪雨のように「激甚災害」として特別支援がなされることはない。この不均衡は直ちに改められねばならない。
聖書は「農夫はまず労苦をしてから、収穫の分け前を受けるべきである」(二テモテ二・六)と語る。汗にまみれた労苦が正当に報われない社会は、すでに崩壊の兆しを抱えている。農業を単なる産業としてではなく、命を養う礎として捉え直すこと――それが今、私たちに突きつけられた課題である。
気候危機はもはや遠い未来の脅威ではなく、今ここにある。政府は「持続可能性」という抽象語を唱えるだけでは責任を果たしたことにならない。制度の隙間を埋める所得補償、技術支援、そして酷暑や干ばつを災害として認定する柔軟な政策が求められている。
同時に私たち市民もまた、日々の食卓を通して農家の営みに支えられている存在であることを忘れてはならない。祈りと感謝をもって彼らの声に耳を傾けるとき、信仰共同体としての使命が浮かび上がる。酷暑に晒された田畑の姿は、神が託された創造の秩序を守り抜く責任を私たちに迫っている。その問いに応えることこそ、未来を担う世代への最も確かな贈り物となるだろう。
Ⅱ 関東大震災の朝鮮人虐殺――記憶を受け継ぐ責任
九月一日が近づくたびに、百余年前の闇が再び私たちに迫ってくる。関東大震災の混乱の中で、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「爆弾を投げた」といった根拠のない流言が広がり、軍や警察、さらには自警団と呼ばれた住民組織までもが、無防備な隣人の命を奪った。犠牲者は千人をはるかに超え、日本の近代史に刻まれた最大級の民族虐殺である。
この惨劇の背景には、大火災への恐怖とともに、植民地支配下の人々に対する差別、抗日運動への警戒心があった。つまり、偶発的な群衆心理ではなく、社会に根付いた構造的差別が暴力となって噴出したのである。だからこそ、追悼の営みは過去の出来事を悼むにとどまらず、現在に潜む排外主義やヘイトスピーチを断ち切る決意の表明でなければならない。
それにもかかわらず、東京都知事は九年連続で追悼文の送付を拒んでいる。「すべての犠牲者を悼んでいる」との説明は、一見公平に聞こえるが、実際には加害の歴史を見えなくする態度に等しい。事実を否定する勢力に力を与え、在日コリアンや外国人を標的とする言説を後押しする危険をはらんでいる。慰霊の言葉を惜しむことは、未来に対して沈黙で同意することと変わらない。
今日の社会を見渡せば、同じような分断の兆しはすぐそこにある。外国人を排斥するスローガンが政治の場に持ち込まれ、SNSでは在日コリアンやクルド人を嘲弄する投稿が絶えない。生活の不安や格差が鬱積する時代だからこそ、その矛先が弱い立場の人びとに向かいやすい。大震災直後の状況と何が違うのか。私たちはその問いに真剣に向き合わなければならない。
聖書はこう語る。「あなたがたはもはや外国人でも寄留者でもなく、聖なる者たちと同じ国民であり、神の家族なのである」(エフェソ二・十九)。この言葉は、国籍や民族の違いによって人を分け隔てることが、神の御心に反する行為であることを告げている。人間はみな、等しく神のかたちに造られた存在だからである。
追悼の営みは、単なる形式ではない。それは犠牲者の名を呼び、痛みを共有し、未来への道を切り開くための行為である。私たちが声を上げることをやめれば、記憶は風化し、同じ過ちが繰り返されるだろう。小さな発言、小さな祈り、小さな連帯の積み重ねこそが、共生社会の土台となる。
九月一日の慰霊碑の前で、私たちは静かに立ち止まる。その沈黙は過去を忘れないという意思であり、同時に未来への責任を引き受ける誓いでもある。差別と暴力に抗う営みを絶やさないこと――それが、この国に生きる者として、また信仰者として、最も重い使命なのである。
Ⅲ 長生炭鉱の犠牲者――遺骨返還と和解への道
山口県宇部の海に、錆びた赤褐色の二本の筒が突き出ている。長生炭鉱の排気・排水筒、通称「ピーヤ」である。その海の底に、今も数多くの遺骨が眠る。一九四二年二月三日、海底の坑道が水没し、一八三人が犠牲となった。そのうち七割が、植民地下の朝鮮から強制的に連行され、危険な労働を強いられていた人々であった。国策としての増産命令のもとで、彼らの命は使い捨てにされた。
敗戦後、長生炭鉱は自然消滅し、事故の記憶も忘れ去られようとしていた。しかし九〇年代に市民が声を上げ、追悼碑を建て、韓国の遺族を招いて慰霊式を続けてきた。花を手向けるたびに、海底に残された遺骨は「まだ帰れない」と訴えているように思える。遺族が故郷に骨を抱いて帰れない現実は、植民地支配の清算がなお途上であることを示している。
市民団体は潜水調査を繰り返し、国会では調査と予算措置を求める声が相次いだ。しかし政府の反応は鈍く、ある首相は「勝手にやってください」と突き放すかのような答弁をした。人道の問題を政治的思惑に絡めることは、犠牲者を二度殺すことに等しい。強制連行と強制労働の事実を直視し、国の責任で遺骨を収容し韓国の遺族へ返還することは、加害国日本に課せられた不可避の務めである。
聖書は「死者を葬ることは憐れみの業である」と語る。死者の尊厳を回復することなく、どうして生者の和解を語れるだろうか。遺骨の返還は、単なる過去の清算ではなく、犠牲者を「神の子」として迎え直す営みである。それは痛みを抱えた歴史の中で、少しずつ信頼を取り戻す和解の第一歩となる。
今年は日韓国交正常化六〇年の節目である。経済や安全保障の協力をいくら重ねても、根底にある歴史の負債を放置するならば、その関係は脆い。海底に眠る遺骨を故郷に返すことは、単なる過去の処理ではなく、日韓双方の未来を確かなものにする行為である。
海に花を投げ入れる人々の祈りの姿は、私たち一人ひとりに問いを突きつけている。「あなたはこの声を聞こえないふりをするのか」と。過去を忘れず、和解の責務を果たすこと――それは信仰者としての使命であり、また隣国との真の友愛を築くために避けて通れない道である。
結語 いのちの声に応える責任
酷暑にさらされた田畑は、私たちの食卓を支える基盤がいかに脆く危ういものであるかを教えている。関東大震災で虐殺された朝鮮人の記憶は、差別と暴力の火種が社会の深層に潜み続ける現実を告げている。長生炭鉱の海底に眠る遺骨は、歴史的責任がいまだ果たされずにいる日本の姿を静かに映し出している。これら三つの出来事は異なる領域に属しながら、根底において同じ問いを私たちに投げかけている――「人間のいのちをどう守るのか」という問いである。
気候危機にあえぐ農業現場を支えること、虐殺の記憶を風化させず継承すること、犠牲者の遺骨を故郷に返すこと。いずれも不都合な現実に目をそらさず、声なき声に応える行為である。私たちが沈黙を選ぶとき、自然の破壊も、差別の連鎖も、歴史の忘却も、取り返しのつかない速さで進行していく。
「真理はあなたがたを自由にする」(ヨハネ八・三二)。この聖句は、目の前の現実を直視する勇気を持てと促している。真理を回避することは安易な安らぎをもたらすかもしれないが、それは必ず深い束縛と破滅に帰する。逆に、苦しくとも真実に向き合う者にこそ、自由と希望の道が開かれる。
教会は、この記憶と責任を担う場である。祈りの中で痛みに沈黙するのではなく、痛みに耳を澄まし、共に担い、社会へと問いを投げ返す使命を持つ。酷暑に枯れる稲の声に、虐殺で命を絶たれた人々の声に、海底に眠る遺骨の声に、私たちは神の声を聴く。それは「いのちを軽んじてはならない」「差別を繰り返してはならない」「過去を忘れてはならない」という切実な呼びかけである。
未来の世代へ私たちが渡すべきものは、沈黙や忘却ではない。痛みを直視する勇気と、和解を選び取る誠実さである。その道を歩むとき、教会はただの宗教組織ではなく、世界における和解と共生の証人となる。いのちの声に応えることこそ、信仰共同体としての私たちの最大の責務である。