教会時論
教会時論 2025年10月18日「人にやさしい政治を取り戻せ」
人にやさしい政治を取り戻せ 「痛みを見捨てぬ政治」を遺した人の死は、時代の鏡である。権力の誇示ではなく、弱者に寄り添う政治を。村山富市の遺言に、いま日本がどう応えるかが問われている。 村山富市元首相が10月17日、10 […]
教会時論 2025年10月12日「公明が連立政権離脱 信義の崩壊を超えて」
四半世紀にわたる「自公連立」が終わった。2025年10月10日、公明党の斉藤鉄夫代表は、自民党の高市早苗総裁との三度目の会談で連立離脱を通告した。国会内の廊下を無言で歩く斉藤の姿は、単なる政党戦略の決裂ではない。長年の […]
教会時論 2025年10月5日 「ガザの『異常』を直視せよ」
ガザの「異常」を直視せよ 医師と看護師が証言する瓦礫の街と飢える子ども。これを放置する世界は、人類の良心を裏切っている。 10月3日、東京。国境なき医師団の日本人スタッフ2人がガザから帰国し、記者会見に臨んだ。語られた […]
教会時論 二〇二五年九月二十八日 日曜日「パレスチナの苦悩・分断する社会・多様な性――平和と尊厳を問い直す責務」
はじめに 平和と尊厳を守るということ いま世界のあらゆる地域で、人間の尊厳が問われている。パレスチナの地では、幾万もの人命が奪われ、生活の基盤が破壊され続けている。ガザの瓦礫の下から救いを求める声に耳をふさぐことは、も […]
教会時論 二〇二五年九月二十一日 日曜日「ガザの惨禍・安保の歪み・老いの孤立――いのちの声に応える日本社会の責任」
はじめに 記憶を抱えて歩むということ 秋分に近いこの時期、日差しはまだ強くとも、朝晩に微かな涼しさを感じる。聖霊降臨後第十五主日を迎えた私たちは、自然の移ろいの中で、過ぎ去った夏の重さとこれから訪れる季節の陰影を同時に […]
教会時論 二〇二五年九月十四日 日曜日「民意と統治――悔い改めなくして再生なし」
はじめに いのちの尊厳を問い直す季節に 九月の空気には、夏の名残と秋の兆しが交錯する。聖霊降臨後第十四主日を迎えるこの時期、教会は豊かな収穫を祈りつつも、同時に人間の社会が抱える不正義や暴力を直視するよう促されている。 […]
教会時論 二〇二五年九月七日 日曜日 「最も小さい者を守る社会へ―防災・共生・記憶をつなぐ信仰の視座」
はじめに 弱き者の側から社会を問う 聖霊降臨後第十三主日、私たちは再び時論を共有する場に集う。教会の説教は聖書を解き明かすだけでなく、社会のただ中で揺れる現実に応答する責務を負う。災害列島に生きる私たちにとって、防災と […]
教会時論 二〇二五年八月三十一日 (聖霊降臨後第十二主日) 「酷暑の田畑・虐殺の記憶・眠れる遺骨――いのちの尊厳を守る日本社会の責務」
はじめに 記憶を抱えて歩むということ 私たちが暮らす社会は、都合の悪い現実を忘却の彼方へ追いやろうとする傾向を持っている。酷暑に揺らぐ田畑を前にしても、気候変動の危機を自らの暮らしの問題として語る声はまだ小さい。百余年 […]
教会時論 二〇二五年八月二十四日 (聖霊降臨後第十一主日) 「不安の社会から共生の社会へ」
はじめに 不安の社会から共生の社会へ この夏、日本社会はまた新たな岐路に立たされている。外国人住民をめぐる言説がかつてないほど先鋭化し、根拠の乏しい不安が声高に叫ばれる一方で、食料をめぐる不安や資源の浪費も私たちの暮らし […]
それは戦争犯罪であり、それ以上だった――長崎への原爆投下から80年
長崎への原爆投下から80年。 あれは単なる戦争犯罪ではない。神のかたちに造られた無数の命を、冷酷に、計算ずくで焼き尽くした罪だ。しかも2度。それは、人類が神に代わり裁きを下した瞬間であり、神の主権を奪おうとする傲慢であっ […]


