共にある教会として、生きるために

☩ 主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたとあなたの愛する方々の上に豊かに注がれますように。
このたびは、自由と友愛の独立アングリカン教会のホームページにお越しくださり、心より感謝申し上げます。
私たちは、いまだ小さき群れではありますが、この出会いのひとときが、あなたの歩みにそっと寄り添い、神の憐れみと慈しみが静かに響き合う時となるよう、祈りをささげています。
「自由と友愛」に込めた、私たちの祈り
「自由」と「友愛」—このふたつの言葉は、私たちの霊的たたずまいと信仰の姿勢を映し出すものであり、その根底には、「祈りを生きる」心が脈打っています。
自由とは、神の御前において真理に根ざして歩むこと。いかなる強制にも屈することなく、自らの良心に誠実であるという、霊的責任にほかなりません。
友愛とは、異なる背景や歩みをもつ者が互いに尊び合い、支え合いながら、共に神の国を求めて生きるという、開かれた交わりの姿勢です。
これらは、単なる理念でも、表層的な標語でもありません。アングリカンの霊的伝統に根ざした祈りと奉仕の実りであり、まさに「コイノニア」—すなわち、「いのちを分かち合う交わり」に生きる信仰のかたちにほかなりません。
このコイノニアは、制度や組織の枠を超え、キリストにおいて結ばれた者たちが、祈りと人生を互いに携え合いながら生きる、「聖なるいのちの交差点」としての教会共同体を指し示しています。
私たちは、聖なる伝統の深みを敬いつつも、それに閉じこもることなく、現代に生きる人びとの声と痛みに真摯に耳を傾け、ともに歩む教会でありたいと願っています。
神の愛のうちに、誰ひとり取り残されることのないように
私たちの信仰の根幹には、すべての人の「いのち」と「尊厳」が、神の御前においてかけがえのないものであるという、確固たる信念があります。
性別、年齢、性的指向、性自認、信仰の成熟度、これまでの歩みのいかんを問わず、すべての人は神のまなざしのうちに創られ、愛され、尊ばれている—その福音の真理を、私たちは心から信じています。
「神がお造りになったものは、すべて良いものであり、感謝して受けるなら、何ひとつ退ける理由はありません。」
— 一テモテ 4章4節
この御言葉が語るとおり、すべての人は神の御業によって造られ、その愛のうちに祝福された存在です。
この信仰に根ざして、私たちは、すべての人を尊び受け入れます。また、女性やトランスジェンダーを含む召命に応えたすべての人が、教会の識別と祈りのうちに正当に按手を受け、聖なる務めに生きることを喜びとします。
さらに、すべての人が神のかたちに創られた者として、互いに結び合う愛と誓約の交わりを、聖婚として正当に認め、祝福いたします。この教会は、同性のカップルを含むすべての結婚を、主の御名において聖別し、祈りをもって司式いたします。
だれも排除されず、だれも見捨てられることのない教会—神の国のしるしとして、そのような共同体を大切に守り続けています。
教会とは、建物ではなく、いのちの交わりである
教会とは、正しさを誇る者たちの集いではありません。
むしろそこは、癒しを求める者、赦しを祈る者、砕かれた魂を携えて集う者たちが、静けさのうちに出会い、互いの祈りに耳を澄ませる—そのような「いのちの交差点」、共なる聖なる場なのです。
教会は、制度や建築物によって成り立つ構造体ではなく、神の霊が息づき、新たな希望が生まれ出る場所であり続けます。
そこでは、誰かが一方的に教えるのではなく、共に問いを携え、共に歩み、互いの違いを通して、神の豊かさと栄光を見いだしていく—そうした共感と探求の信仰の旅路が尊ばれています。
この理解もまた、私たちが掲げるリベラル・アングリカニズムの霊的核心と深く結びついています。すなわち、「教会とは神の愛が響き合う関係の場であり、そこに参加するすべての人の声が、礼拝と共同体の構成要素として尊重される」—この開かれた交わりの精神こそ、今を生きる教会の姿です。
「これから」の教会へ
私たちが志すのは、自由に祈り、友愛に生き、正義と慈しみに立つ—そのような教会です。
この道は、南アフリカのデズモンド・ムピロ・ツツ大主教や、英国カンタベリーのローワン・ウィリアムズ大主教ら、祈りと行動を生きた人々の証しに連なるものです。
彼らの後に続きながら、私たちは和解と包摂の霊的伝統を誠実に継承していきたいと願っています。
分断と疲弊が社会を覆うこの時代において、たとえ小さな灯火であったとしても、私たちは「希望のしるし」となることを祈り求めます。
声なき者とともに祈り、傷ついた者とともに立ち、誰にも見えない痛みに、そっと手を添えて歩むこと—
その静かな従順と日々の祈りこそが、「これから」の教会を形づくると、私たちは信じています。
おわりに
この小さき言葉が、あなたのうちに主の光をともすものであるならば、それは、まことに大いなる恵みです。
どうか、あなたの祈りの道が主の祝福に満たされ、やがて、私たちが共に祈り、共に喜び、共に仕える日が訪れますように。
私たちの教会は、過去にとどまることなく、未来に閉ざされることもなく、「いまを生きるあなた」と共に、神の国に向かって歩む共同体でありたいと心から願っています。
どうか、ありのままのあなたの声と問いを、そのまま携えて、この交わりの扉を開いてください。
それは、神にとって、そして私たちにとっても、かけがえのない賜物です。
自由と友愛の独立アングリカン教会
大主教 佐藤俊介
2017年5月、アングリカンの礼拝規範と正統な教会規則に則り、Nathan N. Muwombi主教を主按手者とし、三名の主教による共同の按手をもって、正規の主教聖別を受けました。これにより、使徒継承の系譜に連なる聖職の務めを継承し、歴史的カトリックの信仰と礼拝に根ざしたアングリカンの伝統のうちにおいて、主教としての召命と責務に応える道が開かれました。
モットー:
To do justly, and to love mercy, and to walk humbly with thy God.
—Micah 6:8, KJV
自由と友愛の独立アングリカン教会は、聖公会の霊的伝統に立ちつつ、現代に生きるすべての人に開かれた教会です。私たちは、性別、性自認、性的指向、またトランスジェンダーを含むすべての人々が、神のかたちに創られた存在であり、その尊厳と召命が等しく認められるべきであると信じています。同性婚についても、キリストにおける愛と誓約の結びつきとして、聖婚として当然に祝福されるべきものであり、本教会はその信仰に基づいて祝福し、司式を行います。こうした信仰の実践は、包括と平等を大切にするリベラル・アングリカニズムの霊性に根ざしたものであり、伝統的なアングリカン・コイノニアの深化を志すものです。