降誕日 説教草稿「言(ことば)が肉となった世界で、なお生きるために」

言(ことば)が肉となった世界で、なお生きるために

【教会暦】
降誕日

【聖書日課】
旧約 イザヤ書 52:7-10
使徒書 ヘブライ人への手紙 1:1-12
福音書 ヨハネによる福音書 1:1-14

【本 文】
 降誕日を迎え、私たちは一年のうちで最も語り尽くされた物語の前に立っている。あまりにも親しまれ、あまりにも消費され、時にその鋭さを失ったかのように見えるクリスマス。しかし、今日の聖書日課は、決して感傷に回収されることのない、神の根源的な行為を告げている。神は語られたのではない。神は来られた。しかも、理念としてではなく、肉として、歴史として、取り消し不能なかたちでである。

 イザヤ書は、「良い知らせを伝える者の足は、山の上で何と美しいことか」と歌う。この言葉は、抽象的な希望の詩ではない。捕囚という現実、破壊された都、尊厳を剥奪された民の記憶を背負った叫びである。平和を告げる声、救いを宣言する声は、権力の中心からではなく、荒れ果てた山道を歩く者の足音として届く。神が王となられた、という宣言は、支配の完成ではなく、抑圧の終わりを告げる言葉である。主は、その腕を諸国の目の前に現される。それは暴力による勝利ではなく、隠されていた真実がもはや覆い隠せなくなる出来事である。

 ヘブライ人への手紙は、この神の自己開示を、さらに厳密な神学的言語で語る。神は、かつて預言者を通して断片的に語られたが、終わりの時には御子によって語られた。ここで重要なのは、情報量の増加ではない。神は、御子を通して「語り切った」のである。御子は、神の栄光の反映であり、本質の完全な現れである。もはや別の神を想像する余地はない。力で支配する神、犠牲を要求する神、恐怖によって人を従わせる神は、ここで明確に否定される。飼い葉桶から十字架に至るこの一つの生のかたちこそが、神の真実である。

 そしてヨハネによる福音書は、この出来事を、時間と空間を超える壮大な序文として語る。「初めに言があった」。この言は、単なる音声や概念ではない。世界を存在させ、意味づけ、関係を生み出す力そのものである。その言が肉となった。ここに、キリスト教信仰の決定的な scandal がある。神は人間を一時的に装ったのではない。神は、人間であることを引き受けた。飢え、疲れ、誤解され、拒まれ、殺される可能性を含めて、である。

 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。この一文は、宗教的慰めではなく、世界観の転換を要求する宣言である。もし神が肉となったなら、この世界はもはや神不在の場所ではない。政治も、経済も、戦争も、貧困も、情報も、身体も、すべてが神学的問いの場となる。霊的なものと世俗的なものを切り分け、清らかな領域にだけ神を閉じ込めることは許されない。

 現代世界は、かつてないほど「言」に満ちている。言葉は即座に拡散され、操作され、商品化される。真実よりも刺激が、熟慮よりも断定が歓迎される時代である。その中で、命を守るべき言葉が、人を殺すために用いられる。排外主義を正当化する言葉、戦争を不可避と語る言葉、貧しさを自己責任に還元する言葉が、日常的に流通している。ヨハネの語る「言」は、そのすべてに対する批判である。神の言は、人を生かすために肉となった。人を切り捨てる言葉は、どれほど宗教的であっても、神から出たものではない。

 降誕は、神が世界を愛されたという宣言である。しかしそれは、世界を無条件に肯定したという意味ではない。神は、壊れた世界をそのままにして愛したのである。だからこそ、神は傍観者ではなく、当事者として来られた。寒さも、貧しさも、政治的抑圧も、宗教的偽善も、その内側から引き受けるために。

 私たちはこの日、光の到来を祝う。しかしヨハネは、光は闇の中で輝いていると言う。闇が消え去ったとは言わない。闇は今も存在し、光を理解しない。それでも光は輝く。これがクリスマスの現実である。希望は楽観ではない。希望とは、闇を見据えた上で、それでもなお世界を信じる決断である。

 公同の教会は、この降誕の現実に立つ共同体である。聖餐にあずかる私たちは、肉となった言を、自らの身体に受ける。これは敬虔な儀式である以前に、政治的であり、社会的であり、倫理的な行為である。神が肉となった以上、私たちの身体と生活もまた、神の現臨の場とされる。どこで誰と共に生きるのか、何に沈黙し、何に声を上げるのか、そのすべてが信仰の告白となる。

 降誕日、私たちは幼子を拝む。しかし同時に、この世界の現実から目を逸らすことは許されない。神は、そこから逃げなかったからである。言が肉となった世界で、なお生きること。それは容易ではない。しかし、神はすでにその道を歩まれた。だから私たちは、恐れずに歩むことができる。光は闇の中にある。そしてその光は、闇に打ち勝つ。これが、降誕日の福音である。

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