教会時論 2025/12/13「核の言葉を慎め」

核の言葉を慎め
官邸中枢から放たれた核保有発言は、抑止ではなく不信を生む。被爆国日本が踏み外してはならない一線は、すでに明白である。
2025年12月18日、首相官邸で安全保障政策を担う政府高官が、非公式取材に対し「日本は核を持つべきだ」と語った。個人的見解との断りは添えられたが、その場が官邸であり、地位が安保の要である以上、発言は私語ではない。翌19日、官房長官は政府として非核三原則を堅持すると説明したが、撤回や更迭には踏み込まなかった。ここに、言葉の軽さと責任の重さの乖離が露わになった。
日本は、原子力基本法と日米原子力協定により原子力の平和利用を自らに課し、核拡散防止条約の下で非保有国として国際秩序に身を置いてきた。憲法解釈の抽象論を持ち出しても、政策判断としての非核三原則は「国是」である。台湾海峡の緊張、北朝鮮の核開発、ロシアの恫喝――危機の列挙は容易だが、だからこそ言葉は抑制されねばならない。官邸から核を口にすれば、周辺国の警戒を煽り、同盟国の信頼を削る。抑止は高まらず、緊張だけが増す。
教会は力の論理に与しない。聖書と伝統と理性の均衡は、恐怖に駆られた拡声ではなく、真実に立つ沈黙と節度を求める。核兵器は「最後の守り」ではない。人の尊厳を無差別に踏みにじる道具であり、被造世界を不可逆に傷つける。広島・長崎の被爆者が世界に刻んだのは、悲惨の記録だけではない。核を用いてはならないという「タブー」を、人類の良心として根づかせる努力であった。これを官邸内の思いつきで損なうなら、国家は自らの道義を裏切る。
ゆえに、首相は曖昧さを捨てねばならない。発言の即時撤回、当該高官の更迭、非核三原則を見直さず堅持する明言を、速やかに行うべきだ。言葉は行為で裏打ちされて初めて信頼となる。読者に求めるのも同じである。恐怖に同調せず、和解を志向し、核軍縮と廃絶の現実的歩みを支持せよ。教会は祈りと行いを一致させ、弱い立場の声に耳を澄まし続ける。核の言葉を慎め。国の品位は、抑制の中でこそ守られる。
「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。」
(ローマの信徒への手紙 12章21節)

