教会時論 2025/12/13「監視国家への坂道を止めよ」

監視国家への坂道を止めよ

スパイ防止法という名で、民主社会の基盤が静かに削られようとしている。安全保障の名目で自由を差し出すことは、決して中立な選択ではない。

 高市政権は2025年内の検討開始を掲げ、いわゆるスパイ防止法とインテリジェンス強化法制の制定を急いでいる。自民党と日本維新の会の連立合意に明記され、国民民主党、参政党も独自法案を国会に提出した。1985年の国家秘密法案が廃案となって以後、最も露骨なかたちで国家による監視と統制の拡張が構想されている。しかも、なぜ今、新法が不可欠なのか。その核心的根拠は示されていない。

 政府自身が2024年8月、「日本はスパイ天国ではない」との答弁書を閣議決定している。捜査関係者の間でも、現行法で対応可能との見解は根強い。すでに特定秘密保護法、経済安全保障関連法制があり、機密保全の網は張られている。それでもなお包括的な新法が必要だというなら、具体的に何が不足し、どの事例が未対処なのかを、国会と市民の前に明示するのが先である。これを欠いたままの立法は、民主的正統性を持たない。

 論点は三つに集約される。第一に、処罰対象と「外国勢力」の定義が拡張可能で、政府の恣意に委ねられる危険である。第二に、内閣情報調査室の格上げや対外情報庁創設など、情報機関の権限肥大に対する実効的な統制が見えないこと。第三に、この法制が排外主義と政権批判の抑圧を正当化する社会的空気を生み出す点だ。情報は両刃の剣である。イラク戦争が示したように、誤った情報や歪められた分析は、取り返しのつかない暴力を正当化する。

 推進側の最良の論拠は理解できる。厳しい安全保障環境の下で、情報収集と分析の質を高める必要があるという主張だ。しかし、必要なのは能力の向上であって、自由の切り売りではない。通信傍受や潜入、身分偽装が常態化し、第三者の監視が弱いまま権限だけが拡大すれば、被害を受けるのは無辜の市民である。反対者を「非国民」や「スパイ」と呼ぶ言説がすでに広がっている事実は、法の運用が社会に与える影響を雄弁に物語る。

 教会は、この動きを歴史の光に照らして判断する。治安維持法は当初、限定的な目的を掲げながら、やがて思想、学問、信仰、社会運動全般を抑え込む装置へと変質した。香港国家安全維持法も同じ道をたどった。権力は、監視の道具を一度手にすれば、必ず拡張する。人の尊厳は不可侵であり、良心の自由は国家に先立つ。恐怖を煽って沈黙を強いる政治は、正義ではない。

 求められるのは別の道だ。第一に、新法ありきの議論を止め、現行法の運用改善と限定的補強に立ち返ること。第二に、仮に情報機能を強化するなら、国会による厳格な常設監視と市民的統制を同時に法定すること。第三に、排外的言説を断固として退け、外交と信頼構築を含む総合的安全保障へ舵を切ることである。教会は沈黙しない。自由と真実を損なう法は、どれほど「安全」を名乗ろうとも拒まれるべきだ。

 政府と国会は、2025年の立法着手を直ちに停止し、根拠と代替案を公開の場で検証せよ。市民は、監視の拡張に慣らされることを拒み、声を上げ続けよ。教会は、弱い立場の人びとの不安と痛みに寄り添い、良心の自由を守るために行動せよ。いま止めなければ、この坂は戻れない。

「主は公正を愛し、貧しい者の訴えを退けられない。」
(詩編 140編13節)

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