降臨節第2主日 説教草稿「荒れ野に差し込むわずかな光を見逃さないために」

荒れ野に差し込むわずかな光を見逃さないために

【教会暦】
降臨節第2主日 2025年12月7日

【聖書日課】
旧約 イザヤ書11:1-10
使徒書 ローマの信徒への手紙15:4-13
福音書 マタイによる福音書3:1-12

【本文】
 降臨節の歩みの中で、私たちは毎年「待つ」という営みの重さと、そこに宿る希望の力を学び直します。けれど、単に心静かに待つことだけが求められているのではありません。現実の荒れ野を直視し、そのただ中でなお灯り続ける小さな光を見いだすこと、それが降臨節の信仰の核心です。私たちの社会には、格差と孤立、暴力性の増幅、見えない形で人間の尊厳が削られてゆく構造が広がっています。どこか遠くの問題ではなく、私たちのすぐ隣にある痛みとして迫り、時に心を沈ませます。そんな季節に、主の民として何を聞き取り、どこに立つべきなのか。それを問うのが今日の主日です。

 イザヤ書11章は、荒廃し切ったイスラエルに、不思議な救いの萌芽が訪れるという大胆な幻を描きます。切り株と化したエッサイの根から、なお若枝が生えるという表現は、ほとんど絶望の土壌から芽吹く命のしるしを指しています。やがてその上に主の霊がとどまり、弱きを守り、貧しい者の訴えに耳を傾け、暴力を断ち切る裁きを行われる方が現れると語ります。これは単なる未来像でも、古代の王の理想化でもありません。神の正義が、力と富をもたぬ者の側から世界を作り変えるという、福音の核心そのものです。この幻に私たちが心動かされるのは、そこに神ご自身のまなざしがあるからです。繁栄でも権力でもなく、壊れやすく声を上げにくい命の側にこそ、主は最初に立たれる。この事実が、信仰の平安と闘いの双方を私たちに与えます。

 マタイ福音書3章は、荒れ野で叫ぶバプテスマのヨハネの姿を伝えます。彼は贅沢や制度の中心から最も遠い場所で、悔い改めの洗礼を呼びかけました。ヨハネが語った「天の国は近づいた」という宣言は、単に心の内面に起こる霊的変化を促したのではなく、社会の不正義に静かに加担してきた生き方を改め、正義のために立ち直る決断を迫るものでした。しかもヨハネは、形だけの宗教的敬虔さを激しく退け、真実の実りを求めました。信仰とは、互いに背負い合い、痛む隣人に応える行動へと向かうものであり、他者を裁く口先の道具では決してない。この厳しさは、しかし深い慈しみから生まれています。神が人を諦めないからこそ、人が変わり得るという希望の言葉でもあるのです。

 そして使徒パウロが語るのは、慰めと励ましを与える聖書の言葉をとおして、私たちが希望に満たされることです。降臨節の希望とは、現実の厳しさから逃げるための幻想ではありません。むしろ世界の痛みに目をそらさず、弱き者と共に立ち、互いの重荷を担い合う働きの中で静かに形づくられる確かな光です。パウロは、異なる背景を持つ者どうしが互いに受け入れ合い、キリストが私たちを受け入れてくださったように歩むよう呼びかけています。公同の教会は、本来そうした包摂の共同体として立てられています。そこに分断や差別が入り込み、誰かが排除されるのだとすれば、それは主の民のあり方から大きく外れてしまいます。

 今日、私たちの社会には、声を上げることすらできない人々がいます。貧困と孤立、偏見や攻撃にさらされる人々、家族や職場でぎりぎりの心を抱えている人たち。降臨節の主の到来は、そうした人々のもとにまず向かう光であり、教会はその光が届く道を共に切り開くために存在しています。教会が街の片隅へ出ていき、苦境にある人の手を取り、制度や政治の働きかけに力を合わせることは、単なる社会活動ではありません。イザヤが示す神の正義そのものを、この世界に証しする聖なる務めです。

 私たち自身の内にも荒れ野があります。焦りや疲労、無力感が心を乾かすことがあります。その荒れ野にも、主は「若枝」を生やされる方です。どれほど小さな芽であっても、そこに神の霊が宿るなら、命は必ず伸びていく。そのことを信じ、互いのうちに芽吹く可能性を丁寧に育て合いましょう。主の民は、ただ慰められる者ではありません。慰める者として遣わされる共同体です。

 降臨節第2主日のこの朝、主は私たちに問いかけます。あなたはどこに立ち、誰の声に耳を傾けるのか。あなたの歩みは、弱き者のための福音の真理を、ほんのわずかでもこの世界にしるしとして示しているか。今日の礼拝から私たちが持ち帰るべきは、厳しい反省ではなく、新たな可能性への応答です。主イエスは、私たちが恐れに閉ざされるのではなく、希望に押し出されるようにと招いておられます。

 どうかこの降臨節、荒れ野に差し込む小さな光を見逃さず、その光を携えて街へ出ていく教会となりましょう。私たち一人ひとりが、主の平和を運ぶ器とされるよう祈り求めつつ、共に歩んでまいりましょう。

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