降臨節第1主日 説教草稿「希望は暗闇のただ中で灯る」

希望は暗闇のただ中で灯る

【教会暦】
降臨節第1主日 2025年11月30日

【聖書日課】
旧約 イザヤ書 2:1-5
使徒書 ローマの信徒への手紙 13:8-14
福音書 マタイによる福音書 24:37-44

【本 文】
降臨節の第一主日を迎えるたび、教会の空気がすっと引き締まるのを覚える。それは過ぎ去った1年の重荷と喧噪を静かにほどき、主の到来を待ち望む新しい息づかいに包まれるからだ。祭壇のそばに置かれた4本のろうそくのうち、今朝は1本目に火がともされた。小さな炎だが、その名はHOPE、すなわち「希望」。暗闇を押し返す光の始まりである。世界がここまで不安定になった年の終わりに、この小さな灯火がどれほどの重みを持つか、私たちは身をもって知っている。戦争の拡大、社会の分断、憎悪の言葉がSNSで渦巻き、政治は迷走し、人々の心は疲れ切っている。そんな時代のただ中で、教会だけがのんびりと「降臨節の始まりです」と告げているのではない。むしろ、この時代だからこそ、最初の光が必要なのだと思う。

イザヤ書は、民族同士が武力で争い続けた時代に語られた幻を記す。「彼らはその剣を打ち直して鋤とし、その槍を打ち直して鎌とし…国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。たとえようもなく大胆で、しかし深く現実を知る預言だ。イザヤは戦争を否定するだけではない。武器そのものが命を育てる農具へと変えられるという、徹底した平和のヴィジョンを示す。今日の世界で私たちの耳は、その言葉をあまりにも切実に受け取る。社会は恐れによって左右されやすくなり、人々は「敵」を想定して心を守ろうとする。だが、イザヤの預言は私たちを別の道へ導く。平和は単なる停戦や力の均衡ではなく、剣そのものを鋤に変える創造的な働き、神の国の光に向かって歩き出すことだと告げている。

 使徒パウロはローマの信徒に向け、「互いに愛し合うことのほかに、誰に対しても借りはあってはなりません」と語る。愛は律法を満たす、とパウロは言い切る。その愛は抽象的な情緒ではなく、隣人の苦しみを放置しない責任の形だ。さらにパウロは、「今は眠りから覚める時だ」と警告する。夜は深まり、日は近づいている。光の武具を身にまとい、闇の業を脱ぎ捨てよ、と迫る。降臨節が、ただ牧歌的な雰囲気ではなく、鋭い目覚めの呼びかけである理由がここにある。私たち自身の中にも、疲れやあきらめによって闇が広がる時がある。社会の不安や不正義に対し、「仕方がない」と目をそらしてしまう誘惑もある。けれども降臨節は、主の光がすでに近いことを思い起こさせ、私たちを立ち上がらせる。

 マタイ福音書は、「人の子が来るのは、ノアの日のようである」と語る。人々が日常の営みに没頭し、神の呼びかけに気づかぬまま滅びへ向かったノアの時代。そこには突然の裁きという恐怖ではなく、人間の鈍さと無関心が描かれている。だからこそ、主イエスは「目を覚ましていなさい」と告げる。待降節は、単なる歴史的記念ではなく、今この瞬間に主が訪れる可能性へ心を開く季節だ。世界がどれほど不安であっても、神の現れは人間の想定を超えた仕方でやって来る。私たちは「神が不在のように見える時代」に生きているが、だからこそ、神の到来を期待するという信仰の姿勢が問われている。

 第一のろうそくHOPEが象徴するのは、根拠のない楽観ではない。むしろ、現実の暗闇を直視する勇気である。希望とは、問題を軽視することではなく、その問題の中心へと踏み込み、そこに神の光を見出す意志だ。戦争の報せが尽きず、社会の分断が広がり、人々の言葉が荒れ、未来を語る声が弱くなった今、教会は小さな炎を掲げる。それは「世界の闇は深い。それでも光は消えない」と宣言する行為だ。降臨節は、消えかけた希望を呼び戻す神の働きの季節であり、私たち自身がその光を受け取り、他者へと分かち合う時でもある。

 主の民である私たちは、この小さなHOPEの光に照らされながら、新しく歩み出すよう招かれている。イザヤが語った平和の山へ向かい、パウロが呼びかけた目覚めの生活へ踏み出し、イエスが求めた「気づき」の姿勢を日常に根づかせること。それはただ個人的な信仰生活ではなく、社会の中で平和と正義を求める共同の実践につながる。憎しみの言葉を減らし、弱い立場の隣人に寄り添い、不正に沈黙しない勇気を持つこと。こうした小さな行為こそ、ろうそく1本分の光が世界を変えていく具体的なかたちである。

 降臨節の始まりにあたり、私たちは主の到来を待ち望みながら、同時にその光を担う者として歩む。暗闇が深まるほど、希望の炎は鮮やかになる。どうか私たちが、この小さな光をしっかりと守り、分かち合い、世界の平和のために用いることができるよう、祈りつつ歩もう。主のまことの光が、私たちの心と共同体と世界に満ちるように。アーメン。を整え、光の武具を身に帯びて歩む力を与えてください。闇が深いように見えるときも、あなたの光に向かって歩き続ける勇気を与えてください。共に祈り、共に待ち望み、共に歩む公同の教会として、この降臨節の旅路を進ませてください。アーメン。

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