教会時論 2025/11/29「立法裁量に逃げた司法の劣化」

立法裁量に逃げた司法の劣化
東京高裁は同性婚を認めない法制度を「合憲」とし、国会の裁量を理由に現実の苦痛を直視しなかった。人の尊厳にかかわる争点で司法が沈黙すれば、三権分立は空洞化する。
11月28日、東京高裁民事8部は、同性婚を認めない民法・戸籍法を「合憲」と判断した。6件の高裁判決のうち唯一の合憲判断であり、札幌・東京(別部)・名古屋・大阪・福岡の各高裁が「違憲」または「違憲状態」と明言してきた流れに逆行した。判決文は、婚姻届が不受理となり続けている原告カップルの8年に及ぶ生活の不安定さを触れながらも、「国会が検討を重ねるべき事柄で、司法の関与は抑制的であるべきだ」と述べて結論を回避した。法廷の外では、SNS上で性的少数者への罵倒が飛び交う光景が続く。そこに漂う空気が、今回の判断にどれほど影を落としたか。判決の文言を読むほど、現実の痛みへの感度の鈍さが際立つ。
背景には三つの争点がある。第一に憲法24条の解釈である。他高裁が「両性」は“個人の尊厳にもとづく結婚を営む者同士”を示す語であり、同性カップル排除の根拠とならないと整理したのに対し、東京高裁は24条を“異性婚を前提とする制度規定”と狭く読んだ。第二に、14条の平等原則の扱いである。原告側が提出した、相続・医療同意・税制・親権・社会保障など計30領域超に及ぶ不利益資料を、判決は「制度全体としての調整が国会に委ねられる」として深掘りしなかった。第三に、国際的潮流の受容だ。OECD38カ国中、同性婚を認めていないのは日本・韓国・トルコのみである。欧州人権裁判所は“性的指向を理由とする差別を最も厳格に審査すべき領域”と繰り返し判示してきたが、東京高裁は「各国事情の差異」を理由に判断要素から事実上外した。判決は一見整然としているが、細部を辿ると、痛みを抱える人々の実際の生活を“制度の外”へ押し戻す力学が露骨に働いている。
教会はこの場面で判断基準を曖昧にしない。人の尊厳は制度の都合より優先する。少数者への不利益が明白であり、その解消に長期間の遅滞が続く場合、「国会の立法裁量」は万能の免罪符にはならない。司法が「動かない立法府」を理由に憲法判断を回避するなら、立法の不作為による権利侵害は永続する。今回の判決はまさにその危険を現実化させた。裁判所の最良の反論は「多様な利害調整を要する以上、国会の議論を尊重すべきだ」というものだろう。しかし、婚姻制度によって生じる不利益は個人の生命・住居・緊急医療・相続といった基礎的領域に直結し、日々の生活の現場で深刻な痛みを生んでいる。これを「制度全体の調整待ち」とするのは、救済の必要性を見誤る。司法は、少なくとも“違憲状態”の確認と“速やかな立法措置”の明示という最小限の役割を負っている。国会の裁量と司法の抑制という常套句の裏で、救われるべき人の声を沈めることは許されない。制度の安定ではなく、痛みを抱える者の尊厳こそ守られるべきである。
国会は速やかに同性婚を可能とする法改正に着手し、内閣は期限を区切った法案提出を行い、司法は今後の審級で人の尊厳に沿った判断を示すべきだ。
「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネ福音書1章5節)

