教会時論 2025年11月22日「虚構財政と国民不在」

虚構財政と国民不在
高市政権の積極財政は、人々の痛みに触れず数字だけを誇る虚構である。物価高に沈む暮らしを直視せず、満面の笑みで語られる対策は、希望を約束するふりをした空虚な饗宴だ。
高市早苗首相が「積極財政」の名で押し出した経済対策は総額21兆円超に達した。2025年11月20日の閣議決定で、給付金、交付金、減税が一気に積み上がり、補正予算案だけで17兆7千億円。長期金利は同日1.8%台に跳ね上がり、円は急落した。市場が示したのは単純な反応だ。裏付けのない財政拡張は国への信認を削る。だが首相は、代表質問で自ら「一時金では物価高は抑えられない」と認めたにもかかわらず、4カ月遅れの対策に同じ処方を並べた。11月初旬、東京都内の量販店で米の店頭価格が昨年比で高止まりしていた場面を報道で目にした。高齢者が「もう半額シールの時間を待つしかない」とつぶやく。そこへ後日届くのが「おこめ券」。その一瞬の安堵の裏に、疲弊する農業と円安の慢性化が沈んでいる。
この対策の骨格は、ばらまきが批判されるたびに繰り返されてきた手法の焼き直しだ。18歳以下へ所得制限なしの2万円給付。冬季の電気・ガス代補助で一般家庭7000円の軽減。自治体裁量の重点支援地方交付金2兆円。いずれも一度限りの消耗品で、物価高の根である円安を放置したまま散布される小袋の肥料にすぎない。対策の裏付けとなる一次資料を見ても、米価は需給の歪み、電力料金は燃料高と円安、ガソリン価格は国際市況と為替に連動しており、単純な引き下げ策では効果が持続しないことは明白である。それでも高市政権が規模を誇るのは、政治的取引の圧力が予算を誘導するからだ。公明党の要望を丸のみし、児童手当上乗せで総額は膨張した。重要産業への大型投資も、半導体や造船といった国際競争から取り残された領域に偏る。政権側は「成長力を底上げし税収を増やす」と主張するが、過去10年の補助金の実績は、競争力の決定的回復には至っていない。政府の最良の論拠は「今は生活支援が急務」というものだ。しかし、それならなおさら痛みが深い層へ絞らねばならない。ここにこそこの対策の核心的欠落がある。
教会の基準は明確だ。人の尊厳に向き合う政策は、弱い立場にある者の生活の現実を起点とする。今回の対策は、その起点がどこにも見当たらない。満面の首相が語るのは、虚構の「安心」と抽象的な「強い経済」。だが現実は、円安の放置と国債増発が物価高を加速し、未来世代への負担を重ねる逆福音だ。改善策は一息にまとめられる。為替是正のため日銀は利上げを段階的に再開し、政府はその独立性を尊重した上で支援対象を低所得層に絞り込み、自治体交付金の乱発を抑えて持続的な食料・エネルギー基盤の再建に資金を振り向けるべきだ。ここにこそ真実がある。表情の明るさではなく、痛みに向けた実効である。
私たちは、誰が、何を、いつまでに行うかを明確に求める。高市政権は12月提出の補正予算案を全面的に修正し、低所得層重点支援、円安是正策、将来世代への負担抑制を柱とした再構築を直ちに行え。読者一人ひとりは、生活の実感からこの政策の虚構を見抜き、声を上げ、良心に基づき判断を下してほしい。希望は虚構ではなく、真実への決断からしか生まれない。
「人のいのちはその財産によってはならない。」
(ルカ書12章15節)

