教会時論 2025年11月8日 「戦争政権の道連れは断固拒む」

戦争政権の道連れは断固拒む

国の誇りは軍事力ではなく、いのちを守る知恵にある。台湾有事の議論に際し、日本は外交と人道を卓越させ、武力の連鎖に身を投じてはならない。

 台湾海峡の緊張が高まり続ける今、我々は一点の曖昧さも許さない。いかなる局面においても、日本は自らの独立した外交遂行を最優先し、武力行使を国家戦略の選択肢から排する以外に生き残る道はない。政府が万全の事前計画を示し、住民避難や邦人保護の現実的な備えを進めているとはいえ、軍事的巻き込みは国民の生命と社会基盤を最も深刻に損なう。島嶼部の避難計画や企業の自助を促す報告がある現況は、国家としての軍事介入が避けられない状況を容認する理由にはならない。

 国家の第一義は自国民の生命と財産の保全にある。武力で他国の紛争に踏み込めば、国力は消耗し、経済と社会の脆弱な部分が直ちに破壊される。集団的自衛や海外での武力行使を巡る議論は、憲法や国民的合意と切り離せない重みを持つ。歴史は、戦端を開いた国家が不可逆的な負のスパイラルに陥れることを示してきた。したがって我が国は、安易な衝動や国内政治の勢いに押されて軍事的選択を採ることを断固拒否しなければならない。国際協調を否定するのではない。だが協調の形はまず外交と渉外の強化であり、兵をもって他国の内戦に身を投じることではあり得ない。

 武力介入は一度踏み込めば後戻りできない。瞬間的な義憤や世論の高まりに国家を委ねる余地は微塵もない。必要なのは冷徹なコスト計算と国際法に基づく判断原理だ。対話と停戦合意への最大限の努力、国際人道組織を通じた医療・物資支援、外交的な橋渡し役の志願と支援、そして危機に直面した市民の避難と受け入れのための具体的体制構築──これらは互いに排他的ではなく、むしろ相補的だ。とりわけ避難民・難民の受け入れは国際的責務であり、政策的に準備し、地域自治体と連携して定住支援の仕組みを整える必要がある。国際社会において武力ではなく救済と再建に傾注する国は、長期的に信頼と影響力を高める。

 最後に、個人の自由と責任について。我々は国家としての武力参加を禁ずる立場を宣言するが、個人が極めて私人の動機で国外に赴くことを法で完全に封じることも現実的でない。だが、個人の選択が国家の決断と混同され、政府の責任が曖昧にされることは絶対に避けねばならない。国家はあらゆる法制と外交手段を駆使して市民の安全を守る義務を負い、同時に戦闘行為を拡大させるいかなる策動にも加担してはならない。われわれは訴える。政治指導者は短期の求心力のために国民を戦火の道連れにするな。官庁は法的限界と国民の生命を秤にかけ、最も保守的な慎重さをもって行動せよ。国会は冷静な議論と透明な決議を通じて国民の納得を得よ。

 教会はこのとき、沈黙せずに祈り、良心の声を上げる。戦争に向かう政治的熱狂を戒め、弱き者に寄り添う政策を求めることは信仰の根幹である。避難民を迎え、医療と住まいを整え、子どもたちの学びと家庭を守ることにこそ、われわれの国の品格は示される。戦わずして命を守ること、そのために外交と人道を磨くこと――これが現代国家の最高の英知であり、我ら聖公会の良心である。政治は急がず、しかし怠るな。国民の生命を賭けた選択を、二度と軽々しくしてはならない。

幸いなのは、仲を取りもつ人々である。彼らは神の子と呼ばれるであろう。
(マタイによる福音書5章9節)

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