教会時論 2025年11月1日 「日銀よ、弱者の声を聞け」

日銀よ、弱者の声を聞け

物価高が続き、生活は限界にある。日銀は政府の顔色をうかがうのでなく、いのちを守るための決断を下すべきだ。

 日銀が10月30日の金融政策決定会合で政策金利を0.5%に据え置いた。6会合連続の利上げ見送りである。植田和男総裁は「納得がいけば政治状況にかかわらず金利を調整する」と語ったが、その慎重姿勢は、すでに「物価の番人」としての責務を忘れたように見える。全国消費者物価指数は前年同月比2.9%上昇。49カ月連続の上昇で、食料品は6.7%、コメは49.2%と跳ね上がった。庶民の食卓に直撃している。日銀が掲げた2%目標を大きく超える現実の中で、利上げを先送りする理由はもはや見いだせない。

 トランプ政権による高関税政策の影響を見極めたいという説明は、家計の痛みを見ようとしない口実にすぎない。円安による輸入価格の上昇は、あらゆる生活必需品の値段を押し上げている。対照的に、輸出大企業は円安の追い風を受け、内部留保を600兆円超へと膨らませた。富は偏り、貧者の暮らしは削られている。実質賃金のマイナスは定着し、非正規雇用や年金生活者の生活費はすでに臨界点に達した。利上げを渋ることは、貧困層と弱者を犠牲にした「企業のための金融政策」に他ならない。

 高市早苗首相は、就任後いまだ金利に言及していない。だが、彼女が模範とするアベノミクスは大胆な金融緩和と財政出動を車の両輪とする政策であり、国債の大量発行に依存する。国債の利払いを抑えるために低金利を維持したいとの政権意向は明白だ。日銀がそれを忖度すれば、独立性は失われる。ベッセント米財務長官が片山財務相に「状況は大きく変わった」と警告したように、世界はすでに異なる局面にある。日本だけが過去の緩和策に固執し続ければ、円安はさらに進み、輸入物価の上昇が家計を追い詰める。弱者の痛みは、為替の数字の向こうに生身の苦しみとして積み重なっている。

 教会は問う。為政者が守るべきものは誰の利益か。経済成長や株価上昇の背後で、食卓を支える人々が疲弊し、子どもの栄養が削られ、年金生活者が光熱費を払えずにいる。この現実を前にして、「トランプ関税の影響を見極める」などと悠長に構えている余裕はない。金融政策は抽象理論ではなく、生活の現場に通じていなければならない。教会の倫理は明確だ。第一に、人のいのちと尊厳を守る経済を優先すること。第二に、利潤よりも公正を、景気対策よりも生活保障を基準とすること。第三に、政策決定の独立性を権力の誘惑から守ること。この三つを欠けば、どれほどの成長指標を並べても、国は内側から崩れてゆく。

 政府と日銀は、2013年の「共同声明」を見直し、デフレ脱却一辺倒の時代を終わらせるべきだ。植田総裁は12月の会合で、0.25%の段階的利上げと同時に、低所得層への影響を緩和する補完策を政府に求めるべきである。高市首相は、物価対策を補助金頼みにせず、所得再分配を強化し、内部留保課税など実効性ある措置を急げ。金融・財政・社会保障の連携の焦点はただ一点、「弱者の生活を守ること」に置かねばならない。いのちを守る政策を怠る国は、神の前に立つ資格を失う。

 教会は沈黙しない。人が尊厳をもって生きる社会を取り戻すために、祈りと行動を重ねる。信徒は消費者として声を上げ、企業に公正な賃上げを求め、地域の互助を築き直そう。政府と日銀には、遅くとも年内に実質賃金の回復と生活必需品の安定を実現する具体策を講じる責任がある。誰もが冬を越えられる国でなければならない。信仰に基づく正義は、いのちを数値ではなく、顔のある現実として見ることから始まる。

「あなたがたは、飢えているときにわたしに食べさせ、渇いているときに飲ませた。」
(マタイによる福音書25章35節)

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