教会時論 2025年10月25日 「キリスト者として、高市首相の所信表明を聞く」

キリスト者として、高市首相の所信表明を聞く
国家を強くする言葉の陰で、人のいのちと尊厳を支える視点が見えない。軍拡と格差を是とする政治に、教会は沈黙してはならない。
高市早苗首相が10月24日午後、初の所信表明演説に立った。壇上で掲げられたのは「強い経済」と「強い国家」。耳に残るのは、故安倍晋三氏の時代に幾度となく繰り返された語彙である。首相は、防衛費を2027年度ではなく今年度中に国内総生産比2%へ引き上げると明言した。計9兆9千億円に加え、補正予算でさらに1兆1千億円を積むという。トランプ米大統領来日を前に、米国への忠誠を誇示するような数字先行の政策である。だが、その財源の内訳も国会での検証もない。所得税増税の時期すら決まらず、国民一人あたり年7万円の負担が生じる試算が報じられている。この国の未来を背負う若者や子どもたちに、何を残すつもりなのか。
物価高が続くなか、家計の余裕は奪われ、非正規雇用者の賃金上昇率は物価上昇に追いつかない。ガソリン税の廃止や電気・ガス料金の補助が語られたが、いずれも一時的な対症療法にすぎない。演説は「責任ある積極財政」と響いたが、その責任の所在が見えない。補助金と軍事費で景気を浮揚させ、後に増税で回収する構図は、貧困層をさらに追い詰める。首相の掲げる「トリクルダウン」の夢が、過去10年の現実においてどれほどの人を救えなかったか、私たちは知っている。
さらに憂慮すべきは、外国人政策と社会制度への冷たさである。首相は「排外主義とは一線を画す」と述べながら、入管法の規制強化と外国人労働者の管理を強調した。人を「労働力」としてのみ扱う視点に、共生の思想はない。選択的夫婦別姓やジェンダー平等への言及は避けられ、旧姓通称の拡大にとどめるとされた。女性首相の誕生が人権の進展を意味しないことを、私たちはここで痛感する。社会保障の再構築を「国民会議」に委ねるというが、その会議体にどれほどの透明性と多様性が担保されるのか。声をもたぬ人々が置き去りにされる制度設計であってはならない。
キリスト者として私たちは問う。力による安全は真の平和をもたらすのか。主イエスは「剣を取る者は剣で滅びる」と警告された。国防の強化を否定しないにしても、そこに倫理的基盤と熟議の筋道がなければ、それは国家の偶像化にほかならない。防衛費の倍増を誇示しながら、核軍縮やパレスチナ和平、国連外交に一言も触れなかった首相演説に、平和国家日本の精神は見いだせない。戦後80年を迎えるこの国が、憲法9条の平和主義を空洞化させてよいはずがない。人のいのちより国の威信を重んじる政治は、信仰の名によって拒まねばならない。
教会は、貧しさのただ中に置かれた人と共に立つ。だからこそ、戦争準備に奔る権力に対し、福祉と教育と和解のための財を取り戻すよう声を上げねばならない。市民は、信仰と良心に基づき、政府に対し防衛費の再検討と社会保障の優先、そして平和外交の再建を求めよう。政治とは独断ではなく「共に決める営み」であるという首相の言葉を、今こそ首相自身に返す時である。
「義によって平和は築かれ、正義によってその果実は永遠に安らかである。」
(イザヤ書32章17節)
