教会時論 2025年10月18日「人にやさしい政治を取り戻せ」

人にやさしい政治を取り戻せ

「痛みを見捨てぬ政治」を遺した人の死は、時代の鏡である。権力の誇示ではなく、弱者に寄り添う政治を。村山富市の遺言に、いま日本がどう応えるかが問われている。

 村山富市元首相が10月17日、101年の生涯を閉じた。旧社会党委員長として自社さ連立内閣を率い、1995年の「村山談話」で日本の加害責任を明確にした。その簡潔な言葉――「侵略と植民地支配に対する痛切な反省と心からのお詫び」は、いまなお政府の公式見解として国際社会に記憶されている。多くの政治家が歴史を修飾語でごまかすなか、彼は「疑うべくもない歴史の事実」と言い切った。戦後民主主義を貫いた最後の政治家が逝った。

 彼の出自は都市の権力圏ではない。大分の漁村に生まれ、14歳で働き、夜学で学び、戦地に赴いた。戦争の理不尽を骨身で知った人である。敗戦の玉音放送を聞けぬまま「負けた」と告げられ、悔しさと安堵が交錯したという。戦後は労働運動のただ中で政治を志した。学問よりも現場、理論よりも生活。だからこそ「8時間働いて生活保護以下の収入なんて、おかしいでしょ」と断じる言葉に重みがあった。机上の改革ではなく、汗の記憶に裏づけられた倫理があった。

 彼が語った「人にやさしい政治」は、理念ではなく実感の集積であった。リクルート事件、冷戦終結、阪神大震災、地下鉄サリン事件――そのすべての現場に「被害を受けた人の側に立つ政治」を探した。水俣病の和解、被爆者援護法の制定。被災地に遅れて入った首相として批判も浴びたが、後年まで被災者への償いを語り続けた。「政治の使命は、痛みを代弁することだ」と。彼にとって政治は支配ではなく奉仕であり、国家の尊厳は懺悔のうえに築かれるものであった。

 いま、その遺言を日本社会はどこまで引き継いでいるか。非正規雇用は労働者の4割に迫り、働いても暮らせない。最低賃金は諸外国に後れ、格差は世代を超えて固定化されている。村山氏が警鐘を鳴らした「労働運動の衰退」は現実となり、労組も分断された。派遣労働の常態化は、労働者を「使い捨て」に変え、政治の責任を曖昧にした。自己責任という名の冷酷が社会に浸み込み、「人にやさしい政治」は、いまや死語に近い。彼の言葉を継ぐべき人々が、かえって「効率」「成長」「競争」を旗印に、痛みを軽視している。

 しかし、彼の生涯が証したのは絶望ではない。戦火をくぐり、党派の瓦解を見ながら、なお政治を信じた。「平和と民主主義、基本的人権に目覚めた大衆が政治を変える」と彼は言った。その信頼こそ、キリスト教的人間観に通じる。すなわち、人は見放されても、見捨てられてはいないという希望である。権力は腐敗しても、人間の良心は再生する。教会はこの信頼を世に証ししなければならない。

 いま求められるのは、彼の語った「人にやさしい政治」を宗教的良心の言葉として取り戻すことだ。第一に、政治家は貧困・災害・差別の現場に足を運び、語るより聴く姿勢を回復せよ。第二に、行政と企業は労働者と消費者の安全を最優先に置き、利益より生命を重んじる仕組みを築け。第三に、教会は社会の片隅で声なき者の代弁者となり、祈りを言葉に変えて公に語れ。村山が示した政治の原点――「人の痛みを痛みとする感性」――を、信仰の責任として受け継ぐ時である。

 聖書は語る。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、仕える者になりなさい」。主イエスのこの言葉は、政治にも教会にも同じく響く。支配ではなく奉仕、命令ではなく共感。村山富市という一人の政治家の生涯は、民主主義の原点がどこにあるかを静かに指し示している。

 私たちは彼の死を悼むだけでなく、遺志を引き継ぐ行動を起こさねばならない。読者はまず、自らの働く場所、暮らす町で「人にやさしい」仕組みをつくる側に立ってほしい。行政は、困窮する家庭と非正規労働者への支援拡充を年度内に具体化せよ。教会は、祈りの場を越えて痛みの声を社会に届けよ。かつて村山が言ったように――「あきらめてはいかん」。その言葉は、なお神の召しのように響いている。

「あなたがたの中で偉くなりたい者は、仕える者になりなさい。」
(マルコによる福音書10章43節)

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