1662年版『公祈祷書』に基づく補祭 伝道師のための詳解
なぜ今、アンテ・コミュニオンなのか
現代のアングリカン(聖公会)の教会において、主日ごとの聖餐式は、教会共同体の祈りと信仰生活の中心として広く理想とされているものです。しかしながら、この理想がすべての地域において実現しているわけではありません。地理的な隔たり、司祭の常駐が難しい地域、小規模な会衆、あるいは教会形成の途上にある伝道区など、多様な事情が、主日における聖餐の安定的な執行を困難にしています。
特に、自由と友愛の独立アングリカン教会のように、信徒の主体性に基づいた自治的で小規模な共同体においては、すべての主日に聖餐式を挙行することは、現実的に容易ではありません。そうした状況において、アンテ・コミュニオン(Ante-Communion)は、単なる「聖餐の代替」ではなく、むしろ神の御言葉に耳を傾け、祈りをささげるという礼拝の核心において、典礼的にも霊的にも、まことに正当な奉事と位置づけられます。
聖公会の典礼理解は、聖なる礼拝の中核を、陪餐の行為のみに限定せず、聖書朗読と説教、共同の祈り、悔い改めと信仰告白など、礼拝の全体的構造を通して、神の恵みと臨在にあずかる道を豊かに見出します。この理解において、アンテ・コミュニオンは「省略された礼拝」ではなく、むしろ与えられた状況の中で共同体が誠実に応答する、制度的にも霊的にも整えられた典礼の形式です。
本教会においては、補祭 伝道師(Subdeacon / Evangelist)1が礼拝共同体の霊的形成と牧会的働きにおいて、しばしば重要な担い手となっています。本教会は、補祭 伝道師の召命と識見を尊重し、主教の監督と認可のもとで、聖公会としての整合性を保ちながら、その働きが最大限に生かされることを喜びとします。
アンテ・コミュニオンは、そのような補祭 伝道師による主日礼拝の奉仕を、典礼的にも神学的にも支える、整えられたかたちを持つ奉仕の道であり、現代の礼拝共同体の霊的ニーズに応える、ふさわしい応答といえるでしょう。
補祭 伝道師によるアンテ・コミュニオンの奉仕は、本教会において、主教の監督と認可のもとに、正式な礼拝共同体の一部として制度的に位置づけられています。主教会の承認を得ることにより、補祭 伝道師は、地域の礼拝共同体にふさわしい名称(例:「自由と友愛の独立アングリカン教会 ディアスポラ教区 [固有名]聖餐前小教会」あるいは「The Independent Anglican Church of Liberty and Fellowship – Order for Ante-Communion (in or at) [Proper Name] in the Diocese of the Diaspora)」を用いて、自らの奉仕を『公祈祷書』の秩序に基づいた公の礼拝として整えることができます。
これは、補祭 伝道師が単なる「司祭の不在を補う者」ではなく、主教の認可のもと、聖公会の伝統に即した「御言葉と祈りの奉仕者」として、公に主日礼拝を担う者であることを意味します。その働きは、責任と喜びをともに担う祝福された務めであり、共同体の信仰を養う、確かな恵みのかたちなのです。
定義と神学的位置づけ
「アンテ・コミュニオン」とは、「聖餐式(Holy Communion)」の前半部分、すなわち陪餐に先立つ典礼の構造を指す用語であり、それは単なる前置きや準備ではなく、神の御言葉に聴き、祈りと信仰をもって応答する、整えられた典礼的奉仕として理解されるべきものです。
1662年版『公祈祷書』(The Book of Common Prayer, 1662)においては、この構造が明確に定義されており、たとえ聖餐の奉献が省略される場合であっても、独立した礼拝の形式として機能するよう意図されています。すなわち、アンテ・コミュニオンは「欠けた聖餐式」ではなく、典礼の秩序に則った「御言葉と祈りによる全き礼拝」として、制度的にも霊的にも十分に成立しうる奉事です。
その基本的な構成は以下の通りです。
- 開祭詞または入祭詩篇(Introit)
- 一般の告白と赦しの宣言(General Confession and Absolution)
- 主の祈りおよび栄光唱(The Lord’s Prayer and Gloria in excelsis)
- 当日のコレクト(Collect of the Day)
- 書簡および福音書の朗読(Epistle and Gospel)
- 説教または黙想(Sermon or Reflection)
- 信仰告白(ニカイア信経または使徒信条)
- 共同の祈りおよび終祷(Intercessions and Closing Prayers)
- (聖餐が行われない場合)主の祈りと結びの祈りによる閉式
これら一連の奉事は、いわゆる「御言葉の礼拝(Liturgy of the Word)」に相当し、聖餐の奉献が行われない場合でも、礼拝共同体が神の前にひとつとなり、聖書朗読、説教、祈り、信仰告白を通して整えられる、豊かな霊的営みとなります。
神学的に言えば、アンテ・コミュニオンは「未完の聖餐式」ではなく、「御言葉における完全な奉献(a complete offering in the Word)」として位置づけられるべきです。それは、聖餐という秘跡に備えるための礼拝であると同時に、制度的あるいは物理的制約によって聖餐が挙行され得ない状況においても、教会がなお主を礼拝しうるように備えられた、恵み豊かな礼拝形態にほかなりません。
この礼拝形式は、聖公会の伝統が大切にしてきた「御言葉と祈りを通しての神の恵みの分与」という神学的理解を具現するものであり、たとえ陪餐がなされなくとも、キリストの臨在と、信仰共同体としての一致とは、確かに聖霊のうちに示されるのです。
歴史的背景と制度的正当性
宗教改革と実践上の要請
宗教改革以降の英国国教会(The Church of England)は、すべての信徒が聖餐に頻繁にあずかることを望ましいものとし、それを積極的に奨励してきました。しかしながら、現実の教会生活においては、多くの信徒が年に数度しか陪餐しないという慣行が根強く残っており、実際の主日礼拝に陪餐者が現れないという事態もしばしば生じました。
そのため、司祭は公祈祷書に規定された典礼秩序を可能なかぎり忠実に守りつつも、陪餐を伴わない形式で礼拝を執り行わざるを得ないという、実践上の課題に直面することとなりました。
こうした礼拝実務の現実の中で、典礼秩序を損なうことなく、陪餐のない礼拝を整える必要が生じ、アンテ・コミュニオンと呼ばれる形式が、自然発生的に、しかしながら祈祷書の構造に即したかたちで用いられるようになったのです。
この形式は当初、臨時的・実用的な措置として受け入れられたものでしたが、やがて礼拝実践の中で一定の定着を見せ、広く受容される典礼的慣行として、教会生活の中に確かな位置を占めるに至りました。
1662年『公祈祷書』における制度化
― アンテ・コミュニオンの“根拠条文”をめぐって
1662年版『公祈祷書』には、通常の聖餐式において、「教会のための祈り(The Prayer for the Church Militant)」をもって礼拝を終えることができるとするルビック(rubric)が明記されています。これは、奉献文(The Great Thanksgiving)を含まずに、式を公的に完了する形式=アンテ・コミュニオンが、公式に制度として認められていることを示しています。
また、「病者への陪餐(The Communion of the Sick)」の条項においても、陪餐が実際に行われない場合の措置が定められており、陪餐を伴わない礼拝が、状況に応じた正当な霊的奉仕として許容されていることが裏づけられます。
これらの記述は、祈祷書の神学的枠組みにおいて、状況に応じた典礼の柔軟な運用が、礼拝共同体の信仰に誠実に応答するかたちで容認されていることを明確に物語っています。アンテ・コミュニオンは単なる例外措置ではなく、信仰共同体の霊的必要に応える、整えられた礼拝形態としての意味を担っているのです。
したがって、アンテ・コミュニオンは「聖餐抜きの聖餐式」という曖昧な位置づけではなく、聖公会の祈祷書的伝統の中で明確に認められた、合法的かつ制度的に保証された典礼形態であり、1662年版『公祈祷書』のルビックによってその正当性が裏付けられています。
このことは、礼拝を通して神の臨在に与ろうとする聖公会的信仰の姿勢が、状況に応じて柔軟に応答しつつも、霊的深みを決して失わないという、伝統に根差した豊かさを示す証しでもあるのです。
霊的意義と神学的深み
信徒が一堂に会して聖餐式を挙行することが困難な状況においても、アンテ・コミュニオンは、聖餐式の典礼構造に根ざした霊的参与の道を開き、礼拝共同体に整えられた祈祷のかたちを提供します。この実践は、とりわけ敬虔と秩序を重んじる高教会的伝統を受け継ぐ聖職者たちの間において、聖公会礼拝の正統的な一形式として大切に継承されてきました。
アンテ・コミュニオンは、単に「聖餐を伴わない礼拝」ではありません。それは、御言葉と祈りを中心とする奉事として、以下のような豊かな霊的価値と神学的意義を備えています。
▪︎ 御言葉における神の現臨
聖書朗読と説教を中心とする礼拝において、神の御言葉は、今も生ける力をもって教会に語りかけます。聖霊の導きのもとに朗読され、解き明かされる御言葉を通して、信仰共同体は、過去の記憶の中の神ではなく、「今ここにともにおられる神」の現臨にあずかります。
この「言における臨在」は、聖公会の典礼理解において、聖餐の神秘と並び立つ中心的要素のひとつであり、御言葉による礼拝が、まさに神の恵みの現実の中に立つことを示しています。
▪︎ 祈りを通した信仰の養い
罪の告白と赦しの宣言、信仰の告白、共同のとりなしの祈り──こうした祈祷書に基づく諸祈願を通して、信徒の霊的生活は日ごとに養われていきます。祈りは、単なる個人的表現ではなく、共同体の交わりのうちにあって神にささげられるものであり、その中で一人ひとりはキリストの体に結ばれ、教会は「祈る民(a praying people)」としてその本質を深めていくのです。
▪︎ 「御言葉と祈りによる交わり」における聖公会的霊性
聖公会の礼拝神学は、「御言葉における交わり」そのものを、神の恵みにあずかるまことの行為として尊んできました。たとえ聖餐の陪餐が行われない場においても、御言葉と祈りを中心とする礼拝は、キリストの体なる教会の霊的一致を現し、恵みのしるしとして働きます。
この霊性の中で、聖公会の祈祷書伝統は一貫して、司祭が単独で聖餐式を執行することを避ける姿勢を保ってきました。なぜなら、礼拝とは常に「教会共同体全体の行為」であり、たとえ最小限の人数であっても、会衆とともにささげられることにこそ、その本質があるからです。
このように、信徒の参与が制限されるような環境にあっては、アンテ・コミュニオンこそが、祈祷書の秩序に忠実でありつつ、信仰共同体の霊的務めを誠実に支える、もっとも整えられた礼拝形式として位置づけられます。それは単なる「欠如を補う代替手段」ではなく、「現在与えられた現実に応答する正当な礼拝」として、深い神学的意義と霊的価値を備えているのです。
現代的応用
— 自由と友愛の独立アングリカン教会における位置づけ
本教会は、典礼の尊厳と牧会的即応性との調和こそが、現代における聖公会的使命に対するもっとも誠実な応答であると信じています。ゆえに本教会においては、認可を受けた補祭 伝道師が、公的に礼拝を導くことが制度上明確に認められており、そのすべては常に主教の監督と承認のもとに行われることを原則としています。
このしくみは、聖公会の聖職制度と典礼伝統の枠内における最大限の柔軟性であると同時に、各地における信徒の霊的飢えと求めに対して、秩序だったかたちで応答しうる実践神学的な表現でもあります。
「信徒の自由な参与」と「礼拝共同体の創造的継承」は、本教会の宣教と奉仕の中核に据えられており、特に司祭の常時奉仕が困難な地域や状況において、主日礼拝をいかにして共同体のいのちとして保ち続けるかは、きわめて深刻かつ建設的に向き合うべき課題であります。
この文脈において、アンテ・コミュニオンは単なる「聖餐の前半」ではなく、共同体の祈りと信仰の応答を支える独立した典礼奉献として、正当に位置づけられます。その実践は、以下のような多様な場において、明確な意義をもって用いられています。
活用の具体例
▪︎ 司祭不在の主日における礼拝
本教会では、認可された補祭 伝道師が1662年版『公祈祷書』に則った構成に基づいて、主日礼拝としてのアンテ・コミュニオンを公的に導くことが制度上認められています。この奉仕は、主教の明示的な認可と監督のもとに行われ、聖公会の聖職制度との整合性が確保されています。
▪︎ 聖職者不在地域における宣教の奉仕として
本教会においては、聖職按手を受けた司祭や助祭が恒常的に配備されていない地域において、主教の監督と認可を受けた補祭 伝道師が、公的に礼拝を導き、福音を宣べ伝える働きを担っています。こうした文脈において、アンテ・コミュニオンは、御言葉と祈りを中心とした正統な典礼奉仕として、宣教共同体の霊的生命を支える役割を果たしています。
これは単に「代行的な措置」ではなく、補祭 伝道師が「御言葉の奉仕者」として召命に応答し、会衆とともに神の臨在にあずかる正規の礼拝を構成する営みであり、本教会の宣教的・牧会的働きの中核に位置づけられるものです。
▪︎ パンデミック、災害、社会的制限下における礼拝
感染症の拡大、自然災害、あるいは地域的な制約などにより、会衆が物理的に集うことが困難な状況においても、アンテ・コミュニオンは家庭礼拝やオンライン礼拝というかたちで実施することが可能です。典礼の秩序を保持しつつ、祈りと御言葉の交わりを絶やさない手段として用いられています。
▪︎ 初学者や子どもとの礼拝
聖餐の全体を執行することが霊的または教育的に適切でない場面では、簡略化されたアンテ・コミュニオンが導入的な奉仕として用いられます。教会暦や典礼の基礎を、体験的に学ぶ入り口として、大きな霊的意味をもつ機会となります。
▪︎ 信仰形成・教育的用法
アンテ・コミュニオンは、講話や黙想と組み合わせて行われることで、補祭 伝道師が「御言葉の奉仕者(Minister of the Word)」としての召命に応える場ともなります。それは単なる礼拝形式ではなく、信仰の理解を深め、共同体の成熟を育む教育的奉仕としても位置づけられます。
このように、アンテ・コミュニオンは、聖公会的典礼の整合性を保持しつつ、現実の教会生活における多様な課題に対して、即応しうる整えられた公的礼拝のかたちです。それは決して「やむを得ぬ次善策」ではなく、むしろ「さまざまな状況において、霊と真理をもって神に近づくことを可能にする、正当かつ豊かな礼拝の奉献」として、教会の祈りの全体において、正しく、そして深く位置づけられるべきものです。
アンテ・コミュニオンの賜物
アンテ・コミュニオンは、聖公会の典礼的伝承と霊的遺産に深く根ざした礼拝であり、たとえ陪餐が叶わないときにおいても、神の御言葉に聴き、罪を悔い、赦しを受け、信仰を新たにし、共に祈りをささげることを通して、主の臨在に与る道を開く、豊かで尊い典礼のかたちです。
この礼拝は、しばしば「やむを得ない代替」と見なされがちでありますが、実際には「聖言における交わり(Communion in the Word)」として、固有の神学的意義と霊的力を備えた、正統かつ恵みに満ちた奉献であります。特に今日、教会が多様な現実と課題のただ中に置かれているからこそ、アンテ・コミュニオンという礼拝のかたちは、あらためて再発見され、教会の霊的資源として豊かに用いられるべき賜物(gift)であると私たちは確信します。
アンテ・コミュニオンにおいて奉仕する認可された補祭 伝道師は、御言葉の僕(しもべ)として召され、礼拝共同体を祈りと聖書における交わりへと導く務めを担います。その働きは、単なる式次第の進行にとどまらず、共同体の霊的な命を養う導き手として、礼拝の本質を体現するものです。これは、補祭 伝道師に与えられた召命への誠実な応答であり、教会における聖なる奉仕として尊ばれるべき務めです。
本教会は、アングリカン・コミュニオンが掲げる「宣教共同体(mission-shaped community)」の形成という使命と深く連なっており、その中で補祭 伝道師の奉仕はまさに宣教の最前線に位置づけられています。それは、聖礼典の執行に限定されることなく、御言葉と祈りのうちに神の現臨を証しする働きとして、教会を生かし、築き上げていくものです。
このような奉仕は、主教の監督と祈りのうちに位置づけられた制度的整合性のもとに展開されており、補祭 伝道師がアンテ・コミュニオンを通じて担う働きは、本教会の宣教と礼拝の将来にとって、まことにかけがえのない霊的礎(spiritual foundation)であるといえるでしょう。
補祭 伝道師のための奉仕指針
アンテ・コミュニオンは、認可を受けた補祭 伝道師が公に奉仕を担うことが許された典礼の形式であり、信仰共同体の霊的中心をかたちづくる、まことに深く尊い礼拝の機会です。この奉仕は、単なる司式の代行ではなく、神の御言葉を宣べ伝え、祈りを導くという聖なる務めであり、その責任と喜びは、主ご自身から委ねられた召命への応答として理解されねばなりません。
以下に示す指針は、その奉仕を忠実かつ豊かに果たすための霊的助言であり、各地に遣わされた補祭 伝道師が、主の民のただ中で祈りと御言葉の務めを整える際の助けとなるものです。
▪︎ 権威ある典礼に根ざす奉仕
礼拝の構成と祈りの内容は、1662年版『公祈祷書』に定められた秩序に忠実であるべきです。祈りと言葉の交わりにおける典礼的流れを丁寧に守り、聖公会の礼拝に受け継がれてきた荘厳さと敬虔さを大切にしましょう。
たとえ簡素な環境においてであっても、伝統に根ざした形式と祈りの調和を尊重し、神の民が一つのからだとして神をあがめることを目指す姿勢が求められます。
▪︎ 会衆の参与を重んじる構成
アンテ・コミュニオンは、奉仕者の語りに終始するものではなく、会衆が主体的に参加する礼拝です。聖書朗読、信仰告白、共同の祈願といった各要素において、会衆の応答が自然に引き出されるような導入や間(ま)の工夫を施しましょう。
礼拝とは「個の奉仕」ではなく、「教会全体による共同の奉献」であることを常に意識し、会衆がともに祈り、ともに御言葉を受け止めることができるよう配慮しましょう。
▪︎ 教育的・牧会的配慮
説教または黙想の言葉は、朗読された聖書に根ざし、信仰生活を支え、深める視点を大切にしましょう。その語りは、日々の歩みにおいて神の御旨を見出すための光となり、慰めと希望をもたらすものであるべきです。
また、祈願文や読誦箇所の選定においても、会衆の霊的成長と交わりの成熟を視野に入れた構成が求められます。礼拝は単なる形式ではなく、霊的な形成の場であることを忘れてはなりません。
▪︎ 聖なる空間の形成
礼拝が行われる場所の大きさや設備の有無にかかわらず、その空間が神の臨在にふさわしい祈りの場となるよう心がけましょう。祭壇または朗読台の簡素な整え、礼拝前後の沈黙の保持、導入時の黙想の促しなどを通じて、聖なる沈黙と集中の雰囲気が育まれるようにします。
こうした備えは、視覚的な整えを超えて、霊的な備えとしての深い意義をもっています。小さな礼拝堂、家庭、野外といったあらゆる場所が「聖所」として立ち上がるための心の態度が大切です。
▪︎ 主教会との連携と権威の保持
補祭 伝道師による奉仕は、主教の認可と監督のもとに置かれ、その権威と典礼秩序に忠実であることをもって正統性を保ちます。礼拝の構成および実施は、1662年版『公祈祷書』の規定に則り、常に主教区との連携と報告の関係を大切にしてください。
特に、聖礼典に近接する奉仕(例:病者の臨終に際する祈祷、特定の祝日や記念日の礼拝等)については、主教の個別承認を受けることが、制度的整合性と典礼的正統性を保証するうえで不可欠です。
このような指針のもとで、アンテ・コミュニオンの奉仕にあたる補祭 伝道師が、主の民を導く喜びと責任をともに担うことができますように。すべての奉仕が、「御言葉と祈りのうちに現れる主の臨在」に支えられ、祝福のうちに実を結びますように祈りをこめて記します。
- 「補祭 伝道師(Subdeacon / Evangelist)」は、本教会において「三品(主教・司祭・助祭)」に準ずる補助的奉仕職(Auxiliary Ministry)として制度化された職制です。礼拝奉仕においては歴史的な補祭(Subdeacon)の職務と霊性を継承しつつ、宣教と牧会の領域では伝道師(Evangelist)として、主教の認可のもとに地域共同体に仕えます。この職制は按手を伴いませんが、公的奉仕者として認可され、礼拝・宣教・牧会において責任ある働きを担います。 ↩︎